弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2020年3月 3日

完全版 検証・免田事件

司法


(霧山昴)
著者 熊本日日新聞社 、 出版  現代人文社

免田事件とは1948年(昭和23年)12月29日の深夜、人吉市で起きた祈祷師一家4人が殺傷された事件。免田栄さんが逮捕されたのは翌年1月13日のこと。免田さんは23歳の青年だった。そして免田さんは「自白」し、熊本地裁八代支部での第1回公判まで認めていたが、2回目の公判から否認に転じた。ところが免田さんについては死刑判決が確定し、以後34年間、死刑囚として福岡拘置所で過ごした。
再審無罪となって釈放されたとき、免田さんは57歳になっていた。
いま、免田さんは故郷の人吉市を離れて熊本県に隣接する大牟田で生活している。すでに死刑囚だった34年間よりも釈放されてからのほうが長い(2017年で92歳)。
再審無罪判決は、自白調書について、「重要な事項である犯行時刻の記述がなく、犯行動機も薄弱で、犯人しか知り得ない、いわゆる『秘密の暴露』も見当たらず、客観的事実との重大な食い違いや不自然な供述が随所にみられ、犯行後の行動も客観的事実と多くの点で食い違っている」とし、さらに「自白の矛盾点を指摘していない調書で、取調官が、自分の誤った事実に基づく安易な誘導から強制があったとさえみられても仕方ない」。自白調書は多くの点で、破綻していることこそが、「あたかもアリバイの成立を裏付けるかのようだ」と指摘した。
免田さんの自白調書は、夜に眠らせてもらえず、暖房のない部屋で、寒さにふるえ、身体が硬直して言葉も出ない状態で作成されたもの。
犯行現場の畳は血の海で障子などにまで血痕が飛び散っていたというのに、免田さんの着ていた上着・ズボン・地下足袋・マフラーからは血痕は検出されなかった。犯人なら相当の返り血を浴びていたはずなのに・・・。
免田さんの再審請求は6回ありました。免田さんの事件に関与した裁判官はのべ70人。そのうち、免田さんを無罪としたり再審開始にした裁判官は14人だけです。2割しかいません。これが日本の刑事司法の現実です。検察官が起訴したら、その時点で有罪の心証をとってしまう裁判官が8割いるのです。
免田さんの事件では、裁判があっているうちに、重要な証拠が「紛失」しています。ナタ・上衣・マフラーそしてチョッキと軍隊手袋です。証拠品の管理の杜撰さは、他の事件でもよくみかけます。絶対にやめてほしいことです。
免田さんの死刑が確定したのは1951年(昭和26年)12月に最高裁が上告を棄却したからです。それから死刑執行されることなく、拘置所で免田さんは勉強もし、必死で訴えて世論を動かし、国民救援会と日弁連の支えがあって再審無罪の判決を獲得したのでした。
先の大崎事件についての最高裁の冷酷無比の決定をみるにつれ、再審裁判では検察側にきちんと証拠開示するよう義務づけておくべきだとつくづく思います。
(2018年7月刊。2700円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー