弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年12月 6日

無実の死刑囚、三鷹事件・竹内景助

司法


(霧山昴)
著者 高見澤 昭治 、 出版  日本評論社

三鷹事件が起きたのは1949年(昭和24年)7月15日の夜8時24分。三鷹駅構内の無人の7両連結の電車が暴走し、時速60キロをこすスピードで600メートルを走り、駅構内を突き抜け、駅前の派出所や運送店を破壊したあと、ようやく停止した。その結果、改札口に向かって歩いていた乗降客6人が亡くなり、十数人が重軽傷を負った。
この年は、直前の7月5日に下山事件(国鉄の下山総裁が列車に轢断され、死亡した事件)、1ヶ月後の8月17日には松川事件(列車転覆脱線事故のため運転士ら3人が死亡)が発生している。そして、この三鷹事件については、発生した直後から、マスコミ(新聞)は共産党員による犯行だと報道した。
ところが、暴走電車によって完全に破壊された駅前派出所には警察官は誰もおらず、1人として被害にあっていない。また、事故直後にアメリカ軍のMP(憲兵)が現場に来て暴走電車内に立ち入っているのが目撃されている(その状況写真もある)。事故発生前にアメリカ軍のジープが現場に停まっていた。
当時、日本を占領していたアメリカ軍は、三鷹事件について、いち早く「共産党による破壊工作」と決めつけ、吉田内閣に働きかけて、捜査当局の目を共産党員による犯行へ向けさせた。このことは間違いない。
下山事件は自殺ではなく、他殺。そして、松川事件はアメリカ軍の謀略部隊によるデッチ上げ事件、これが間違いないところでしょう。この三鷹事件も、アメリカ軍による謀略事件の疑いがきわめて濃厚です。
ところが、ひとり竹内景助ばかりは「単独犯」なのか「共同犯」なのか「自白」が変転したこともあり、有罪のまま獄死(病死)してしまったのでした。
事件発生の翌2日である7月17日に、朝日新聞の社説は、名ざしこそしていませんが、共産党員による犯行と言わんばかりですし、毎日新聞にいたっては、「思想的関係のあることが明らかになった」として「極刑にせよ」という見出しをつけています。驚くべき内容の社説です。
では、なぜ竹内景助のみは有罪となって確定したのか・・・。
竹内以外の被告人たちは、無罪をあくまで主張して、がんばった。しかし、竹内はいったん「自白」しているうえ、単独犯だとしたり共同関係にあるといったり、フラフラしていた。そして、弁護士に「だまされた」というのでした・・・。
竹内は、几帳面で真面目な性格の人間だった。
逮捕されたのは8月10日だったから、事件が発生して2週間以上たっていた。
警察からは、松川事件での赤間被告と同じように、叩いたらすぐ壊れる「弱い環」とみられていたのかもしれません。
検察官が竹内に言った言葉を、竹内は詳しく再現しています。
「この野郎、まだ言わんのか。証拠が山ほどあるんだぞ。いくら無罪と言ったって、そんなこと通用するもんか、バカめ・・・。救い難い奴だな、こいつは。このまま死刑にしてやるから覚悟していろ。共産党は、こういうバカばかり集めて、ああいう事件しか起こせないんだなあ、呆れたもんだ・・・。おい、何をボンヤリしてるんだ。その手をようく見ろ、人殺しめ、人の顔なんか見なくてもいい。自分の手をようく見ろ。きさまが殺した手を見ろ・・・。人殺し。おい人殺し。電車がひいたんでも、結局、人殺しだ。それでもまだ白ばっくれているというのか、このやろう。意地でも死刑にしてやるぞ。それだけ頑張るんだから覚悟しているだろうな」
いやはや、とんでもない検察官です。
三鷹事件の「真相」を初めて知ることができました。再審の厚い壁を、ぜひとも乗りこえていってほしいと思います。
(2019年10月刊。2000円+税)

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