弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年11月22日

日産自動車極秘ファイル2300枚

社会


(霧山昴)
著者 川勝 宣昭 、 出版  プレジデント社

日産自動車にはカルロス・ゴーンという権力者が長く君臨していましたが、その前は「天皇」とまで呼ばれた塩路一郎がいました。ただし、塩路一郎は会社の経営者ではなく、労組の委員長でしかありません。ところが、なぜか労組のトップが日産という会社の支配者然としていた時期が長く続いていたのでした。
本書は、日産の内部で塩路一郎に抗していた課長グループの動きを当事者が書いて発表したものです。著者は、日産自動車の広報室課長職で、40歳前後でした。
塩路一郎は日産自動車を含めた自動車労連の会長として絶大な権限をふるっていた(当時53歳)。
著者たちは、秘密組織をつくって塩路一郎打倒の取り組みをすすめていた。それは社長の特命任務というものではなかった。取締役会のなかでも、塩路一郎に意を通じている人間が少なくなく、彼らにバレないように隠密裡に活動していった。
塩路一郎は、中曽根康弘と太いパイプをもっていて、石原慎太郎の選挙参謀もつとめた。
塩路一郎の意向を受けて手足となって動き、ダーティーな行動もいとわない、「フクロウ部隊」という裏部隊が存在した。日産労組のなかには、大卒グループ、高卒グループ、高専卒グループの三大派閥があり、フクロウ部隊は、高卒グループのなかで組織されていた。
フクロウ部隊は盗聴を常套手段としていた。その主たる目的は、社内の幹部クラスの人間の弱みを握ることにあった。
著者が1967年に日産に入社したとき、入社式は労組との共催だった。そして、川又社長の訓示のあと、塩路一郎が登壇して挨拶した。
会社の人事は事前に労組幹部に伝えられ、その承認を得る必要があった。つまり、現場での人事権は完全に労組側が掌握していた。生産についても、労組との事前協議制によって、労組側の事前承認が必要とされていた。
多くの日産社員は、争いに巻き込まれたくない、自分の仕事ができて、給料がもらえて、生活が守れたらいいと考えていた。それで、組合にあえて抵抗するようなことはしなかった。
塩路一郎は、明治大学の夜間部出身にもかかわらず、1962年から自動車労連の会長を20年も独占した。
川又社長は興銀出身で、社内の基盤が強固なものではなかったので、労使協調路線をとった。これが潮路一郎の専横を許すことにつながった。
川又社長の次の石原社長は塩路一郎に追随しなかった。
塩路一郎は3500万円のヨットを専用とし、もっていたゴルフ会員権もあわせて4300万円した。塩路一郎は銀座で豪遊し、女性スキャンダルも派手だった。そこで著者たちは週刊誌にリークし、また女性スキャンダルを明るみに出すため張り込みをし、怪文書を発行するのです。
いやはや、大変な戦いです。ついに塩路一郎は倒れました。
しかし、次に登場したのはカルロス・ゴーン。果たして日産という会社はどうなっているにか・・・。他人事ながら心配になってしまいます。それにしても、企業のなかで生きるというのは大変ことなんですよね。つくづく自由人である弁護士になってよかったと思ったことでした。
(2018年12月刊。1600円+税)

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