弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年7月25日

調査・朝鮮人強制労働・炭鉱編

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 竹内 康人 、 出版  社会評論社

戦前・戦中に朝鮮人を日本へ強制連行し、炭鉱などで働かせて酷使・奴隷労働させていた史実を丹念に発掘した貴重な資料集です。今回の第1巻は炭鉱編です。
表紙にポスターの絵があります。「飛行機も軍艦も弾丸も、石炭からだ!たのむぞ石炭」とあります。まさしく炭鉱は日本の戦争を地底から支えたのです。
日本に労務のために強制連行された朝鮮人は70万人。そのうち炭鉱で33万人が働かされた。筑豊には、その半分の15万人が連行された。北海道は、石狩を中心に10万人。佐賀と長崎にも4万人、そして宇部にも1万人。
大牟田には朝鮮人が1万人以上も連行されてきた。三池炭鉱だけでなく、三池精練所、三池染料、電気化学工業、三池港湾など。
三池炭鉱では、日本人が1万5000人、朝鮮人が3900人、中国人640人、連合軍俘虜922人。中国人は総数2500人、俘虜は総数1700人だった。
三池染料の1945年3月の朝鮮人連行者135人の名簿が残っている。16歳から21歳の84人の朝鮮人が三池染料の職場に配置された。21歳の団長とされた朝鮮人のほかは、日本語が話せなかった。彼らは仕事着のみで、着換えはもたなかった。
徴用にいった労務係長からは、憲兵とともに朝鮮に行き、役に立ちそうな者を手当たり次第トラックに載せて連れてきた。徴用というより、人さらいだったと話した。
この労務係長というのは、私の亡父のことと思われます。生前、朝鮮に行って500人ほどの朝鮮人を列車で日本に連れてきたと語ってくれました。ところが、工場では炭鉱と違って、単純労務作業ではありませんので、日本語も読めないような労力のない人では役に立たず、1回きりだったと言っていました。
三池染料は平原町に朝鮮人収容所があったとのこと。職場のすぐ近くです。
炭鉱には市内各所に朝鮮人用の収容所があった。そのなかの一つ、馬渡町の5棟の収容所の一つには、朝鮮人による落書が残っていた。田舎に帰りたいという悲痛な叫びが描かれていた。
筑豊にあった麻生系の炭鉱では連行されてきた朝鮮人労働者を奴隷のように酷使し、虐待していた。そのひどい仕打ちに対して、朝鮮人労働者たちはたびたびストライキを起こすなどして反抗したのです。
ところが、麻生太郎は、今もって、朝鮮人労働者を虐待した事実を認めようとしません。まったく反省することなく、開き直っています。
貴重な資料集です。これをつくりあげた著者に対して心から敬意を表します。
(2013年8月刊。2800円+税)

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