弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2019年3月19日

労働弁護士50年

司法

(霧山昴)
著者 高木 輝雄 、 出版  かもがわ出版

名古屋に生まれ育ち、大学も名古屋、そして弁護士としても一貫して名古屋で活動してきた高木輝雄弁護士に後輩の弁護士がインタビューしたものが一冊の本にまとめられています。話し言葉ですし、インタビュアーの解説もあって大変読みやすく、私は機中で一気に読み終えました。
司法修習は20期で、同期には江田五月、横路孝弘そして菊池紘・自由法曹団元団長などがいる。当時は青法協が非常に活発で、修習生の半分以上が青法協の会員だった。
弁護士になってすぐ弾圧事件にとりくみ、打合せして帰宅するのは午前2時。それから尋問の準備をしたあと、4時に寝て、朝6時には起きる。
うひゃあ、す、すごいです。とても私にはマネできません。すべての時間を仕事に注入したのでした。
次は、四日市公害訴訟。このとき、疫学的因果関係が認められました。
次の全港湾事件は、日韓条約反対のストやデモをして、業務命令違反で組合役員8人が解雇された。裁判所は、政治的な問題がからむと非常に弱い。司法の独立は大切なものだと考えて司法の世界に入ったけれど、結局のところ、司法は立法や行政に頭が上がらないことを実感した。
レストランのコックに対して営業職への出向が命じられて拒否したところ、業務命令に反したというので解雇された。このとき就労請求を求めたら、裁判所が認容した。コックは業務をやっていくなかでコックとしての能力を向上させるものという特別性を訴えた。このころは解雇の事前差し止めの仮処分申請をして、認められることがあった。
東海道新幹線が開通したのは1964年(昭和39年)、私が高校1年生のときです。大学生のときは新幹線は高値の花で、寝台特急みずほや急行などを利用して九州へ帰っていました。
沿線住民があまりの騒音・振動に耐えかねて裁判を起こした。一審だけでも3回ほど現地で検証した。そして、国労が現場で減速走行してみせるというように協力してくれた。沿線の住民がワァーって歓声をあげると、運転士がパッパッパッーと汽笛を鳴らして応じる。
いやはや、すごいことですよね、これって・・・。今では、まったく考えもしません。
法廷に緊張感があり、傍聴席から裁判長に対して意見をいうと、強く受けとめている気配があった。このころ、著者は「喧嘩太郎」とか「瞬間湯沸かし器」と言われていた。
この裁判のあと、JR東海とは1年に1回協議をしているが、もう30年以上は続いている。これってすごいこと、すごすぎますね・・・。
新幹線訴訟のときも午前2時まで作業していて、毎日2時間ほどしか眠れなかった。
こうなると、過労死寸前ですね・・・、笑いごとではありません。よく身体がもちました。
運動は楽しくなきゃいけない。義務だけではダメ。本当にそのとおりです。
著者は今76歳。ますますお元気にご活躍し、お過ごしください。
(2019年1月刊。1600円+税)

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