弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年11月 9日

戦国大名と分国法

日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 清水 克行 、 出版  岩波新書

戦国時代の大名が領民支配のために法律(分国法)をつくっていたというのは知っていましたが、この本を読んで、その内容と法律の限界を知ることができました。
限界のほうを先に紹介します。
毛利元就(もとなり)にとって、法度(はっと)を定めてこそ、一人前の戦国大名だという認識があった。しかし、これは、当時の多数派ではなかった。裁判よりも戦争、これが大多数の戦国大名が最終的に選んだ結論だった。
詳細な分国法を定め、領国内に緻密な法制度を整えた大名に限って、早々に滅んでいった。当主の臨機応変なリーダーシップや超越したカリスマ性が求められた時代には、その分国法は、ときとして、政治・軍事判断の足かせともなった。
粗野で、野蛮なもののほうが新時代を切り拓いていった。とはいっても、分国法が成立したということは、それ以前の社会がつくり出した法慣習を成文法の世界に初めて取り込んだという点で、それ以前とは法の歴史を画する一大事件であることを忘れてはいけない。
次に、分国法の内容をみてみましょう。
私が驚いたのは、武田晴信の「甲州法度」のなかに、債務者の自己破産による混乱を整理することを目的として、債権者が債務者の財産を差し押さえるときの手続きまで定められているということです。ちっとも知りませんでした。債務者の自己破産が深刻な問題になっていたようだと書いてあるのには、びっくり仰天です。
「六角氏式目」には、当時、当たり前のように行われていた自力救済を規制すべく、訴訟手続き法を詳細に定めていた。それには、「訴訟銭」として1貫200文を訴状に添えて奉行所に提出することになっていた。勝訴したら、1貫文は戻ってくるが、敗訴したときには1貫文は戻ってこない。200文は、奉行人の手当となる。
日本人は、昔から裁判が大好きだったんですよね。ですから、自力救済ではなく、裁判を利用するように分国法を制定したわけです。
大変面白く、機中で一気読みしました。
(2018年7月刊。820円+税)

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