弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年10月 4日

大本営発表

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  辻田 真佐憲 、 出版  幻冬舎新書

 いい加減な政府当局の発表を今でも大本営発表と言いますよね。安倍首相は、いくつも大本営発表しています。たとえば、オリンピックを東京に誘致するとき、原発事故は完全にコントロールしていますなんて、真っ赤な大嘘を高言しました。また、アベノミクスで国民生活が豊かになる(なっている)かのような幻想を今なお振りまいています。
 この本を読んで、堂々たる嘘を戦争中ずっと高言してきた大本営発表の本質を知ることができました。それは、一言でいうと、軍部と報道機関の一体化にある。でしたら、今の日本のマスコミも、NHKをはじめとして、権力にすり寄ってアベノミクス礼賛がほとんどですから、似たような状況にあるってことじゃないですか・・・。恐ろしいです。
 大本営発表は1941年12月8日からと一般に言われ、846回の発表がなされた。しかし、実は、その前の1937年12月の南京攻略のときにもあった。
昭和の大本営は、敗戦の年まで首相の参加を認めていなかった。その実態は陸海軍の寄合所帯にすぎなかった。参謀本部が大本営陸軍部を名乗り、軍令部が大本営海軍部と名乗っていた。統合されたのは、1945年5月のこと。敗戦の3ヶ月前だった。
 当初は陸軍が熱心で、海軍将校は報道を無用なおしゃべりとみなし、チンドン屋と呼んでバカにしていた。
当初は、軍当局は新聞をよくコントロールできていなかった。それは新聞各社の部数拡大をめぐる熾烈な競争があったから。そして、報道合戦に勝ち抜くためには、軍部との協力が不可欠だった。
新聞はジャーナリズムの使命感というより、単なる時局便乗ビジネスに乗っていただけ。これは毒まんじゅうだった。軍の報道部と新聞は、いつのまにか持ちつ持たれつの関係になっていた。
 1941年12月8日からの大本営発表は戦争報道を一変させた。新聞に代わってラジオが全国に速報する役目を担った。聴く大本営発表の時代が到来した。同時に軍歌が流された。
「ソロモン海戦に関する大本営発表は実にでたらめであり、ねつぞう記事である」
これは、昭和天皇の弟である高松宮(海軍中佐)が日記にかいた文章。
日本軍は情報を軽視していた。事実を確認することなく(確認できず)、戦果を誇張して発表し、それに自ら騙され、しばられていった。
 ミッドウェーでの敗北を発表すると、国民の士気が衰えることを心配した。大本営は国民を騙しただけでなく、海軍にも正確な情報を伝えなかった。
サボ島沖海戦で手痛い敗北を受けると、作戦そのものをなかったことにしてしまった。
国民は三重に目隠しされた。日本軍の情報軽視により、戦果の誇張がおきる。そして、損害の隠蔽が起きる。さらに、ジャーナリズムの機能不全に陥る。
軍部の感覚はマヒしていた。前回もやったことだから、今回も損害を隠蔽してしまおう。これも士気高揚のためだ。いまさら嘘を覆すわけにもいかない。マスコミは自由自在に動かせるから、どうせ国民にばれることもない。
「玉砕」という言葉は、大本営から反省する機会を奪った。ただし、「玉砕」という言葉のごまかしは1年間のみ。戦局があまりに悪化したため、美辞麗句ではもうごまかせず、「全員戦死」とストレートに表現されるようになった。
 ジャーナリズムが軍部当局、ときの権力にすり寄り、一体化してしまうと大変な不幸を日本にもたらすのですね。最近、アメリカのF35戦闘機を購入するというニュース映像が流れましたが、一機いくらするのか、何のために日本がこんな戦闘機を購入するのか、欠陥があるとの指摘はまったくありませんでした。ひどいニュースは、もう始まっています。
(2016年8月刊。860円+税)

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