弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2016年1月15日

天皇陛下の私生活

日本史(戦前)

(霧山昴)
著者  米窪 明美 、 出版  新潮社

  1945年の1月1日から12月31日までの昭和天皇の日常生活を丹念に解明しています。戦前は現人神(あらひとがみ)ということで、天皇は神様そのものという存在だったわけですが、実際には不自由な生活が明らかにされています。たとえば、不自由という点では、なにより親子一緒に自由に暮らせないというのが信じられません。
昔は、生まれてまもなく里子に出し、丈夫な子どもに育つようにしていたのです。そして、子どもたちが大きくなってからも、親である天皇夫婦と一緒に生活することはなかったのです。なんという非人間的な生活でしょうか・・・。
ちなみに戦前は、皇居と言わず、宮城(きゅうじょう)と呼んでいたのですね。戦後の昭和23年(私の生まれた年です)から、皇居と呼ぶようになりました。
1945年1月、天皇は43歳、皇后は41歳だった。ということは、9年前の2,26事件のとき、天皇は34歳だったわけです。反乱軍を許せないと昭和天皇が怒ったのも分かる気がします。
そして30代を戦争指導者として日夜、戦争指導に没頭していたというわけです。ですから、沖縄戦でもう一回勝ってから終戦交渉しようなんていう発想をして、たくさんの罪なき日本人を死に至らせてしまったわけです。
その反省を今の天皇は体をもってあらわしているのだと思います。ですから、制度は別として、私は今の天皇を人間として心から尊敬しています。
昭和天皇は、不器用なうえに、唱歌も下手だった。私も音痴ですが、手先は不器用というわけではありません。
皇居での天皇夫婦は、洗面所は供用だが、風呂とトイレは各別に専用のものがあった。トイレが別なのは、水洗トイレであっても、医師が毎回検便していたのです。尿検査もありました。健康も厳重に管理されていたわけです。トイレで自由に水に流せないのは警察の留置場と同じです。ちなみに、これは、今も続いていると承知しています。皇族も大変なんですよね・・・。
昭和天皇は、毎朝、消毒済の新聞を隅から隅まで読んだ。広告に至るまで目を通していた。これは折り込み広告のことではないでしょうね・・・。
昭和天皇は猫舌だったからいいようなものの、天皇の食べる料理は、車で5分もかかる大膳寮でつくったあと、毒見役もいたりして、すっかり冷めていた。こりゃあ、たまりませんね。まるで目黒のサンマの世界です。そして昭和天皇は、このサンマが大好きだったそうです。
昭和天皇は身長165センチ(私と同じです)、体重64キロ(私は68キロもあって、ダイエットに挑戦中です)だったのが、戦争中は56キロにまで落ち込んでしまいました。
天皇家は、いわば神道の本家のような存在なのだが、敵国アメリカのリンカーン大統領のブロンズ像が室内にあったり、クリスマスをみんなで祝ったりしていた。
昭和天皇は、アルコールが体質的にまったく飲めなかった。それで宴会のときには湯冷ましを酒に見せかけて飲んでいた。
終戦前に皇居はアメリカ軍の空襲によって2度も家屋が焼失している。2回目は、陸軍参謀本部からのもらい火で皇居が炎上した。
昭和天皇は一時は退位も考えていたようです。当然だと私は思います。
日本史の一駒として知っておくべき話だと思いながら読み通しました。

(2015年12月刊。1400円+税)

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