弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年10月12日

平泉

日本史(平安時代)

(霧山昴)
著者 斉藤 利男   出版 講談社書選書メチエ
 
中尊寺とは、清衡による奥六郡支配の最初に、奥州の中心に位置することを意識して創建された寺院だった。奥大道を通行する人々は、金色堂以下の壮麗な伽藍を間近に見る仕掛けだった。中尊寺は、すべての人々に開かれた「公の寺」だった。
奥州藤原氏は、「北奥政権」にとどまっていなかった。平泉開府の最大の意義は、衣川を越えて、「俘囚の地」奥六郡の南へ出たことにある。そして、清衡の目は、奥羽南部から関東・北陸、さらに首都京都を越えて、西国九州に達し、博多の宋人商人を介して、寧波(ニンポー)、中国大陸に及んでいた。
初代清衡は、大治3年(1128年)7月に73歳で病死した。
清衡の死は、わずか2週間後に京都の貴族に死んだことや年齢まで日記に書かせた。この日記が今も残っていることから、さらに多くのことが解明できたのでした。
平泉は、海のシルクロードの東の終点に位置する都市である。それは、院政期仏教美術の直輸入ともいえる中尊寺の仏像、仏具類、海外産の材料(夜光貝)象牙、紫檀材など。都の一流の匠・工人に依頼することなしでは、建立不可能だった中尊寺金色堂。
そして、ここには中国・海外産の経典・宝物などもある。
平泉・中尊寺は私も何回か行きました。その金色堂の見事さには、言葉が出ないほどの衝撃を受けたものです。
(2014年12月刊。1950円+税)

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