弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年10月 6日

ヒトラーとナチ・ドイツ

ドイツ


(霧山昴)
著者 石田 勇治   出版 講談社現代新書
 
日本の国会で、首相が平然とウソをつき、与党が拍手かっさいして、大手マスメディアがそれを無批判にたれ流して、世論を操作しようとしています。
憲法違反の安保法制法が「成立」してしまいました。今の日本では、憲法が改正されてもいないのに、憲法に明らかに反する法律によって安倍政権は世の中を動かしていこうとしてます。 こんなとき、ヒトラーの手口に学べばいいんだという元首相(副首相)のコトバが「生きて」きます。本当にとんでもない世の中になりました。
「おかしいだろう、これ」。新潟県弁護士会会長の一口コメントに、多くの共感の声が上がったのも当然です。
この本は、ヒトラー台頭からナチス・ドイツが残虐の限りを尽くしたうえで自滅していくまでを、とても分かりやすくたどっています。
ヒトラーはオーストリア生まれ。父親は、非嫡出子だった。ヒトラーは、このことを生涯ひた隠しにした。母親は乳がんのため苦しくて亡くなった。
大都会ウィーンでヒトラーは青年時代を過ごしたが、貧しかったわけではない。徴兵検査・兵役を逃れるため、ヒトラーはホームレスの一時収容所に入っていたこともある。 
第一次世界大戦が始まると、25歳でドイツ帝国陸軍に志願兵として入営した。ヒトラーは危険な前線にはいかず、比較的安全な後方勤務に就いた。
ヒトラーの演説は、すべて巧みな時事政談だった。
世界を善悪二項対立のわかりやすい構図におきかえ、情熱的に語る。
聴衆の憤りは、おのずと悪に向かう。その悪の具現者こそ、ユダヤ人、マルクス主義者、そしてワイマール共和国の議会政治家だった。
ヒトラーは、ナチ党の実権を握ると、独裁権力を行使した。
ヒトラーがナチ党の党首となったのは、優れた演説家であり、宣伝家であったから。集会活動に力点をおくナチ党にとって、ヒトラーのたぐいまれな観客=聴衆動員力は、ナチ党を他の急進右派勢力から際立たせると同時に、ヒトラーをカリスマと感じる人々に根拠と確信を与えた。
ナチ党には、党の意思決定の場としての合議機関は存在せず、党首を選出する規則も任期も定められていなかった。入党条件は、ヒトラーに無条件に従うことだった。
ヒトラーの肖像写真を撮ることを許された唯一の写真家がいた。その名は、ハインリヒ・ホママン。
ヒトラーの「我が闘争」(1925年)は、獄中でヒトラー自らタイプライターをたたいて執筆したもの。ヒトラー自身は、「嘘と愚鈍と臆病に対する四年半の戦い」というタイトルを望んでいた。この本は、累計1245万部も売れた。「我が闘争」は、虚実とりまぜて語るヒトラー一流のプロパガンダの書である。
この本が売れたため、首相としての給料はヒトラーにとって不要なほどだった。
ナチ党は、全国進出にあたって弁士不足という問題に直面した。そこで、1929年6月、ヒトラー公認の弁士養成学校を開校した。開校してから1933年までに6000人の全国弁士を送り出した。
ナチ党躍進のカギは、国民政党になったことにある。すべての社会階層にまんべんなく支持される大政党になった。
1933年1月30日に、ヒトラーはヒンデンブルグ大統領によって首相に任命された。このころ、ナチ党は得票数をかなり減らし、党勢は明らかに下降局面に入っていた。
1932年7月の国会選挙で第一党になかったが、同年11月の選挙では200万票も失い、議席数も196と後退していた。このとき、ドイツ共産党は躍進していた。その一審の原因は、ヒトラーのカリスマ性の限界だった。ヒンデンブルグ大統領が1月に成立させたヒトラー政権は、国会に多数派の基盤のない「少数派政権」だった。
ヒトラーは首相になってすぐ、ラジオで演説した。このときは穏やかで信心深い政治家を装った。そして、ヒトラーは3月に選挙を行った。機能不全に陥った国会をよみがえらせるためではなく、終わらせるために・・・。
1933年2月27日夜、国会議事堂が炎上した。翌日には、共産党の国会議員などを一網打尽に逮捕した。非常事態宣言、大統領緊急令によるものだった。
そして、1933年3月、授権法が成立した。これによって、国会は有名無実になった。このとき反対したのは、社会民主党の94人の議員のみ。4年間の時限立法のはずだったのが、1945年9月まで効力があった。授権法は、国会と国会議員だけでなく、政党の存在理由も失わせた。共産党の議員はすでに逮捕されていたが、続いて社会民主党も非合法化された。こうして、14年間続いていたワイマール共和国の議会制民主主義は、わずか半年でしかも合法性の装いを保ちながら、ナチ党の一党独裁体制にとって代わられてしまった。
この本は、なぜ文明国ドイツで、こんなヒトラーのような野蛮な独裁者にみんなが従ってついていったのかと問いかけ、その謎を解明しています。国民の大半が、あきらめ、事態を容認し、目をそらした。様子見を決め込んで動かなかったものが大勢いた。甘い観測と、安易な思い込みがあった。教会も、学者もヒトラー支持をうちだしたことも大きかった。そして、ヒトラーは既成エリートとの融和をすすめた。
いまの日本は安倍政治によって危険な曲がり角に立たされています。このとき、誰かが何かをしてくれるだろう。安倍政治はいずれ行き詰まるだろうから、もう少し様子を見ておこうなんて言っているときではないと私は思います。今こそ私も、あなたも黙っていることなく、声を上げるべきなのではないでしょうか・・・。
この本を読みながら、そのことを私はひしひしと痛感しました。

(2015年6月刊。920円+税)
 

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