弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年9月28日

骨が語る日本人の歴史

人間

(霧山昴)
著者 片山 一道   出版 ちくま新書
 
日本人とは何者なのか。アイヌ民族と同じように、琉球民族というものが存在するのか、、、。
骨考古学の知見から日本人を解明した、画期的な新書です。
現代日本人は、身体特徴に限ってみても、日本人の歴史のなかでは突飛すぎる存在である。背が異常に高く、顔が小さく、顎(あご)が細く、脚が長く、足が大きい。これは、日本列島の人々の歴史においてはすばらしいのだが、それも、ここ70年ばかりの現象でしかない。
では、江戸時代の日本人は、どんな身体をしていたのか、、、。男性の身長は166~149センチ。女性は152~136センチ。江戸時代の日本人の背丈の低さは記録的だった。
大顔で、大頭、長頭、寸詰まりの丸顔の人が多かった。
江戸時代の人々は、鉛汚染による健康被害に悩んでいた。鉛白粉(おしろい)によるもの。そして、虫歯が多く、梅毒も流行していた。
乳児の死亡率は14%と高いけれど、55歳にまで達していたら、70歳までの寿命があった。
明石原人、高森原人、葛生原人、牛川人。いずれも、今では虚像とされている。
沖縄本島で発見された港川人は、琉球諸島に限定された人々と考えられている。
日本列島に住んでいた縄文人の起源を東南アジア方面に限定する説は、もはや了解事項ではない。
縄文人は、骨格が全体に骨太で、頑丈である。頭骨は、さながら鬼瓦の風情である。
縄文人は、短軀、下半身型でがっしりとした体型、大顔で大頭のユニークな顔立ち。豆タンク型だ。縄文人は、鼻と顎が特徴的。平均身長は、男性158センチ、女性147センチ。
日本人の歴史における平均身長は、男性で160センチ内外だった。縄文人の歯には、抜歯と研歯の風習があった。
縄文時代は1万年と長い。それに比して、弥生時代は700年ほどと短い。
弥生時代よりも、次の古墳時代のほうが、多く存在したのかもしれない。
日本人の歴史では、古墳時代のころまでは「中頭型」だった。鎌倉時代から江戸時代にかけて「長頭型」が多くなる。そして、明治以降、だんだん短頭化し、戦後は、「過短頭型」の人が大半を占めるようになっている。
日本列島に、北から西から少数の人々が流れて来た。それらの人間が長い時間をかけて風土マッチしながら、練金術師がブレンド・ウィスキーを溶けあわせるように混合融合し、独特の身体特徴をした縄文人が生まれていった。
弥生時代には、朝鮮半島を平穏な海路が開けていた。だから、多くの人々が行き来していた。いつも渡来人はいたし、中世の倭寇のころまで、渡来人はいただろう。
縄文人が雲散霧消して、弥生時代の渡来人に総入れ替えしたというものではない。
琉球諸島に住む人々は、文化基盤は違うものの、身体特徴は本州域の日本人と大差ない。言語は、日本語の流れにある。アイヌとは、事情を異にしている。
日本人を骨考古学の立場から、じっくり観察していますので、納得できる内容になっています。
(2015年7月刊。820円+税)
 

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