弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年6月18日

アウシュヴィッツを志願した男

ヨーロッパ

                              (霧山昴)
著者  小林 公二 、 出版  講談社

 アウシュヴィッツ収容所に自らすすんで入り、そこを脱走したポーランド軍大尉がいたなんて、信じられません。そんなこと、まったく知りませんでした。
 そして、収容所内で抵抗組織をつくりあげ、脱走に成功してからもナチス・ドイツ軍と戦ったのです。ところが、戦争後、ポーランドがソ連の支配下にあるなかで、今度はポーランド政府から反逆罪で死刑を宣告され、銃殺されて歴史から抹殺されたのでした。幸い、今は名誉を回復しているのですが、その子どもたちは苦難の戦後を歩かされたのです。いやはや、本当に歴史の現実は苛酷です。
 アウシュヴィッツ収容所に1940年9月21日、自ら志願して潜入し、あげく948日後の1943年4月27日、脱走に成功したポーランド軍大尉がいた。ヴィトルト・ピレツキという生粋のポーランド人である。3年近くもアウシュヴッツ収容所で生活していたピレツキは、その収容所内の様子を生々しく語っている。
 収容所には、家族からの送金も認められていて、それは月30マルクだった。あとでは40マルク。収容所内には売店があり、タバコ、サッカリン、マスタード、ピクルスなども買うことができた。家族からの小包は衣料品ははじめから認められていたが、食料小包も1942年のクリスマス以後は解禁されていた。そうだったんですね・・・。
 はじめ、アウシュヴィッツ収容所はポーランド軍捕虜の収容所だった。そこで、収容所内の実態を探るために、誰かが潜り込む必要があるということになり、マッチ棒を使って、くじ引きで人選が決まった。それを引き当てたのがピレツキだった。
 ナチスは、知識人を毛嫌いした。だから、収容者が教師だとか弁護士だと名乗ったら、死へ直行させられた。カンボジアでも、そうでしたね・・・。
 手先の器用なピレツキは、木工職人と自称した。1940年9月当時は、ユダヤ人はアウシュヴィッツに送り込まれていなかった。
 収容者をふくめて収容所を実際的に管理していたのは、実は収容者自身だった、常時10万人以上の収容者を管理・行政部門をふくめて8000人のSS(ナチス・ドイツ)でコントロールするのは不可能だった。もちろん、管理体制のピラミッドの上部にSSが君臨していた。
 ピレツキがアウシュヴィッツ収容所に潜入した目的は四つ。
第一に、収容所内に地下組織をつくること。
 第二に、収容所内の情報をワルシャワにある抵抗勢力(ZWZ)司令部に届けること。
 第三に、収容所内の不足物資を外から調達すること。
 第四に、ロンドンのポーランド亡命政府を通じてイギリス政府を動かし、アウシュヴィッツを解放すること。
 強制収容所で生き残ろうと思えば、いい人間なら友人になること。どんな親切も受けとり、そして、それを次の機会に返すこと。利己主義では、命をつなぐことができない。利己主義にこり固まった収容者は、間違いなく死んだ。相互の友情の絆ができれば、互いに助けあい、生きる確立は格段に高まる。
収容所の家族から送られてくる小包は、1人週5キロまで1個と決められていた。大きいものは没収され、250キログラムまでだと、個数制限がなかった。食料に関しては月1個だった。昼夜交代24時間体制で「小包班」の収容者が分別作業にあたった。死亡した収容者あての小包は生きている仲間へと名札をつけ換えられて渡された。
 ピレツキの地下組織は脱走を禁じていた。脱走者が出たら、10人が連帯責任で殺されたから。コルベ神父の死も、脱走者の身代わりだった。
 収容所の所長であるヘスは家庭では子煩悩だった。殺して奪った子どもの着ていた上等な服を我が家に持って帰り、子どもたちを喜ばせた。
 こうなると、人間の残酷な心理の奥深さに、ぞぞっとしてきますよね・・・。
 アウシュヴィッツ収容所から802人が脱走し、300人が成功した。なかには、所長ヘスの車を奪って、SSの制服を着用した四人組が成功したというのもある。1942年6月29日のこと。
 ピレツキの場合には1943年4月に脱走に成功した。小包部門から、パン工房に移ってからの脱走だった。
 ピレツキはナチス・ドイツ軍に対するワルシャワ蜂起に参加します。敗北した蜂起ですが、生き延びることができました。そして、ナチス、ドイツが敗北したあと、ソ連軍の占領下のポーランドで、今度は国家叛逆罪で逮捕され、拷問にかけられ、裁判で死刑を宣告されるのです。死刑の執行は、1948年5月25日夜9時30分。
 ピレツキの名誉が回復されたのは、1990年10月1日のこと。なんと40年以上もたっていました。まだ、ピレツキの奥さんが存命していたのが救いです。二人の子どもは、今も生きているとのことです。
 知らないことって、本当に多いですよね。それにしても、ポーランドって、大変な歴史を背負っているのですね・・・。
(2015年5月刊。1700円+税)

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