弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年5月 7日

ベルリンに一人死す

ドイツ

                                (霧山昴)
著者  ハンス・ファラダ 、 出版  みすず書房

 ナチスドイツに抵抗したドイツの大学生たちは、白バラ・グループと呼ばれました。大学の内外でナチスへの抵抗を呼びかけたビラをまいたのです。ところが、そのビラを読んで決起した学生・市民はほとんどいませんでした。そして、大学生の兄妹は死刑となってギロチン台で処刑されてしまいました。
 戦後になって、その行為は高く評価されたわけですが、残念ながら、同時代のドイツ人を立ち上がらせることは出来ませんでした。
 この本の主人公は、一人息子をドイツ兵として戦死させてしまった中年の夫婦です。夫は、まだ現役の労働者でした。ヒトラーを批判し、反戦を呼びかけるハガキをベルリンの町のあちこちに置いていったのです。
 ところが、そのハガキを手にした人は、恐怖のあまりほとんどが警察へすぐに届け出てしまいます。その限りでは、反戦ハガキは何の効果もありませんでした。しかし、本当に効果がなかったのかどうかは、本書のような存在が証明していることになります。
 この小説のモデルとなった実在の人物は1940年から2年にわたって、公共の建物にナチスへの抵抗を呼びかける文章をハガキに書いてベルリンの町のあちこちに置いていった。
 ベルリン中からハガキが発見されたため、ゲシュタポ(ナチスの秘密警察)は、大がかりな地下組織の存在を疑っていた。実際には、夫婦二人だけの「犯行」だった。1942年に逮捕され、形だけの裁判で死刑判決を受け、1943年にギロチンで処刑された。
 あらゆる意味で平凡な一般市民の中に、こんな絶望的とも言える勇気をもった人々がいたことに驚かされる。
 でも、よく考えてみれば、ベルリン市内には戦後までユダヤ人を隠して守り抜いた人々が少なからずいたのです。守った人々も、普通の一般市民だったのです。
 ハガキを書いて町のあちこちに置いていたオットーは、政治的信条のためではなく、「まっとうな人間」でいるためにハガキを書いたのだ。本書に登場する人物のうち、ナチスへの抵抗を試みるのは、ほとんど全員が確固たる政治的信条をもたない平凡な人物ばかり。彼らは、ただ単に「まっとうな人間」でありたいという願いから、ナチスに抵抗し、迫害を受ける。その抵抗が何の役に立ったのかと問われたとき、オットーは次のように答えた。
 「自分のためになります。死の瞬間まで、自分はまっとうな人間として行動したのだと感じることができますからね。そして、ドイツ国民の役にも立ちます。聖書に書かれているとおり、正しき者ゆえに救われるだろうからです」
 この本は、1946年に出版されています。まさに終戦直後に書かれたのです。平凡なドイツ市民、はじめはヒトラー・ナチスを賛美していた夫婦がヒトラー批判のハガキを書いて町じゅうにばらまくようになるのです。その心理的変遷を行き詰まるタッチで描き出しています。
 600頁もの分厚い本です。そのうえ上下2段組です。戦時下のドイツ、首都ベルリンの行き詰まる市民生活が丹念に再現されていて、読ませます。
(2014年10月刊。780円+税)

 次のような詩があるそうです。

 批判ばかりされた子どもは、非難することを覚える
 殴られて大きくなった子どもは、力に頼ることを覚える
 笑いものにされた子どもは、もの言わずにいることを覚える
 皮肉にさらされた子どもは、醜い良心の持ち主となる
 しかし、激励を受けた子どもは、自信を覚える
 寛容に出会った子どもは、忍耐を覚える
 賞賛を受けた子どもは、評価することを覚える
 フェアプレーを経験した子どもは、公正を覚える
 友情を知る子どもは、親切を覚える
 安心を経験した子どもは、信頼を覚える
 かわいがられ抱きしめられた子どもは、世界中の愛情を感じることを覚える

 これはスウェーデンの中学校の教科書に載っているそうです。ドロシーロー・ノルトの「子ども」という詩です。長瀬文雄氏が紹介していました。弁護士生活40年以上となった私の実感にもぴったりあいます。やはり、人間同士も国同士も信頼しあうことが大切です。安倍政権のようなあちこちに「敵」をつくり、武力によって「敵」を抑えこもうというのではいけません。

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