弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2015年4月17日

ギャンブル依存国家、日本

社会

                                    (霧山昴)
著者  帚木 蓬生 、 出版  光文社新書

 病的ギャンブリングは、患者の病態や治療の面で依存症と瓜二つ。
 いずれにも、離脱症状と耐性がある今では、ギャンブル依存症ではなく、ギャンブル障害といい、病的ギャンブラーのことをギャンブル症者という。
 ギャンブルは、ひとつの産業であり、ギャンブルをする人は、その消費者といえる。
 ギャンブルには悲劇が必然的に付随しているのだから、ギャンブル企業側には、危険性を警告する義務がある。それは、消費者の権利として、その傾向を受ける権利として存在するはずだ・・・。
 ギャンブル症者は、日本人男性の8.7%、女性の1.8%にのぼる。
 ギャンブルの開始年齢は平均して20.2歳。そして、借金の開始年齢は27.8歳。精神科に相談に来る平均年齢は39.0歳。ギャンブルに手を染めて7年後には、借金を始め、借金し始めて11年後にはニッチもサッチもいかなくなり、助けを求めて精神科診療所を訪れる。
 ギャンブル症者のはまっていた元凶はパチンコ・スロット。それは、8割強を占める。
 ギャンブル症者の頭を占めているのは、こうなったらいいなという希望的見通し、都合のよい考え。限りなく空想に近く、既に妄想の領域に片足をつっこんでいる思考法である。
 パチンコ店の年商は20兆円ほど。公営ギャンブルと宝くじの2倍半から4倍の規模を誇る。カジノで有名なマカオの年間売上げは4兆700億円。つまり、日本には、マカオが5カ所もある。ところが、日本ではパチンコ・スロットはギャンブルとされていない。
 パチンコは警察が指導監督する許認可業種であり、警察OBの天下り先。
 パチンコ・スロット業界には、1県あたり1000人もの警察OBが職を得ている。パチンコ業界の用心棒として警察は存在している。
 人がギャンブルにはまり込むのは、何も一攫千金の夢を満たすばかりが理由ではない。一攫千金の前に、ハラハラドキドキの期待感、そして危機感がある。これが、刺激のない平凡な日常から抜け出す、非日常的な瞬間を与えてくれる。
 ハラハラドキドキは、一種の戦闘状態であり、このときの脳を司る神経伝達物質は、ドーパミンである。
 日本で最初のギャンブル禁止令があるのは、『日本書紀』。689年、持統天皇のとき、双六(すごろく)禁止令が出ている。さらに、『続(しょく)日本紀(にほんぎ)』で孝謙天皇の天平勝宝、6年(754年)にも双六禁断例が出された。
 この年は、唐から鑑真和尚が日本に着いた年であり、東大寺の大仏の開眼(かいげん)供養から2年後のこと。
外国には、パチンコも競輪も競艇もオートレースもない。あるのは、競馬とカジノやスロット、ビンゴ、ロトくらい。
 外国の多くのカジノは、ギャンブルの敷居を高めるため、入場料をとり、身分証明書の提示を求めている。イギリスのカジノは、一般市民への宣伝は禁止、建物の外での広告も禁止されている。ギャンブル中の判断力を損なわないため、アルコールも禁止されている。そして、クレジットカードでの支払いも禁じられている。ところが、アメリカのカジノは正反対。
日本では、パチンコ・スロットは、全国津々浦々にあり、コンビニなみだ。
 日本人の500万人以上がギャンブル障害をもっているというのに、厚労省は実効性のある措置をしていない。ギャンブル障害の3割にアルコール症が合併している。
 日本は既にギャンブル王国なのだから、これ以上カジノをつくれば、文字どおりギャンブル地獄となってしまう。
ギャンブルとは、所詮、他人のポケットに手をつっこんで、自分のポケットにお金を移すような行為である。
 ギャンブルは幸せを生まない。ギャンブルでえたお金で幸せになった人がいるのなら、胴元であるパチンコ業界や公営ギャンブルを運営している役所が大宣伝しているはず。
 ギャンブルは幸せをこわし、犯罪を誘発する。ギャンブルがはびこれば、はびこるほど、国という器にひびがはいり、国も国民もつぶれていく。日本を、これ以上、重篤なギャンブル依存症国家にしてはいけない。
 安倍政権はカジノで日本経済の向上を図るとしていますが、実は、そんなことにはならないことは、この本でも強調されています。パチンコ依存、ギャンブル依存とは何かを知りたい人、カジノに頼る日本経済振興というのはおかしいと感じている人には絶対おすすめの本です。
 著者は北九州の精神科医であるのと同時に、たくさんの傑作を書いている文学者でもあります。
(2014年12月刊。740円+税)

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