弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年4月11日

検証・防空法

日本史(戦前)


著者  水島 朝穂・大前 治 、 出版  法律文化社

 水島教授は、私の尊敬する憲法学者ですが、戦前の日本が、いかに国民の生命・財産を無視する国家であったのか、実に詳しく論証しています。さすが、学者です。
 アメリカ軍は日本の都市を空襲する前に、それを予告するビラ(伝単)を投下して退去するよう警告していたのですね。初めて知りました。
 当局は、その米軍による警告ビラを改修し、住民が逃げ出すのを防止していました。それで、空襲被害は大きくなったのです。なぜ都市から逃げたらいけないのか。それは、戦意喪失につながるから、なのです。
 終戦1ヵ月前の7月に、青森市に、アメリカ軍が空襲を警告するビラを大量に投下した。市民は続々、郊外へ避難していった。すると、青森県は、7月末までに戻って来ないと、住民台帳から削除して、配給物資を停止すると通知した。
 台帳からの削除は、「非国民」のレッテルとなり、社会からの抹殺に等しい。市民は、次々に戻ってきた。そして、アメリカ軍は、予告どおり空襲した。その結果、1000人ほどの死傷者を出すに至った。この青森県の通告は、防空法にもとづくものだった。
 1941年の防空法の改正審議のとき、佐藤賢了・陸軍省軍務課長(のちに陸軍中将)は、次のように述べた。
 「空襲を受けた場合、実害そのものはたいしたものではない。周章狼狽・混乱に陥ることが一番恐ろしい。また、それが一時の混乱ではなく、ついに戦争継続意思の破綻になるのが、もっとも恐ろしい」
 国民を戦争体制にしばりつけ、兵士と同じように生命を投げ捨てて国を守れと説く軍民共生共死の思想である。兵士の敵前逃亡は許されず、民間人も都市からの事前退去を許されない。それを認めると、国家への忠誠心や、戦争協力意思が破綻し、空襲への恐怖心や敗北的観念が蔓延する。人員や物資を戦争に総動員する体制が維持できなくなる。
 そこで、政府は都市から住民が退去することの禁止を法定した。国民は、戦線離脱が許されなくなった。全国民が国を守る兵士として、「死の覚悟」を強いられ、退路を絶ったのが、1941年の防空法改正だった。都市から逃亡したものは、「非国民」であり、都市に戻る資格はない。
 このように、政府の公刊物で「非国民」という言葉が堂々と使用されていた。
 焼夷弾には、水をかけても、爆発するだけで、何の効果もない。このことを政府は知っていて、国民に隠すことにした。
空襲にあったとき、ロンドンやバルセロナなどでは、地下鉄の駅や通路が大規模な公衆避難場所として解放され、その結果、多くの市民の生命が助かった。しかし、日本では、空襲があるときには、地下鉄、地下通路の入り口は封鎖された。人々を地上に追いやってしまい、その結果として犠牲者が増えた。
 「町内会、常会、隣組は、逃げたくても逃げられない」という相互監視体制である。その装置としての隣組が整備された。
 1945年6月、帝国議会は、「義勇兵役法」を制定施行した。15歳から60歳までの男子、17歳から40歳までの女子は、すべて「義勇兵」となり、軍の指揮下に入って、本土決戦に備えることになった。
 空襲被害による国を被告とした裁判が進行中ですが、安倍首相の突出した異常さから目を離すわけにはいきません。本当に、それでいいのでしょうか・・・。
(2014年2月刊。2800円+税)

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