弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年3月28日

中国抗日映画・ドラマの世界

中国


著者  劉 文兵 、 出版  祥伝社新書

 中国では反日教育が日頃から徹してやられているとよく言われますが、この本は映画やテレビにおける「抗日」をテーマにした作品、ドラマがつくられている舞台裏を明らかにしています。なーるほど、だったら、日本と変わりないじゃん、と思ってしまいました。
戦前の中国(1941年)では、日本軍の恐ろしさをあまりに強調しすぎると、国民が恐怖にかられ、かえって戦意を喪失するのではないかという批判があり、日本軍の残虐な真実をストレートに表現しなかった。
 なーるほど、映画は真実を伝えすぎても、逆効果になることがあるのですね・・・。
 農民をふくめた一般の観客に対して、いかに分かりやすく抗日のメッセージを伝えるのか、当時の映画人たちは腐心していた。
中国の反戦映画には、日本兵が二通りの姿で登場する。一つは残虐な「敵」であり、もう一つは、中国の民衆に共感して抗日運動に参加する「同志」である。
 1945年8月から中華人民共和国が成立する1949年までの4年間に150本の劇映画が造られたが、抗日戦争にまつわるものは30本ほどでしかなかった。そして、日中の大規模な戦闘を題材にしたものは、まったく見当たらない。これは8年にわたる抗日戦争によって国民党政府が財政上の困窮状態にあったため、スペクタクルを盛り込んだ本格的な戦争映画をつくるだけの環境になかったことによる。
 蒋介石は、みずからの政権の正当性を主張すべく、抗日戦争を勝利に導いたのが国民党の力であったことを、映画をはじめとするメディアを通じて国民へ広めようとした。
 しかし、表面的には国民党が優位だったが、実際には、多くの映画人の心は明らかに共産党に傾いており、国民党のプロパガンダ映画の制作に手を貸そうとはしなかった。左翼的映画の急速な台頭を危惧した国民党政府は、映画検閲の基準をより厳しくした。
 中国共産党が政権を握ってから、政府は戦争映画を重視した。映画撮影所は軍部の直轄下におかれ、映画人は現役の軍人として丁寧に扱われた。
 抗日映画に出てくる日本人は、強力な敵として描かれているのは、注目すべき点である。
 しかし、1950年代半ばから、中国映画における日本兵の描き方には大きな変化が起こった。
 戦争映画では、中共軍の高級将校が登場してはならないとされた。それは、誰をモデルにしているか、すぐに分かってしまうこと、すると映画に取りあげてもらえなかった将校たちの不満を招くという理由からであった。
 加えて、その後の中国共産党内部の権力闘争において、1959年に彭徳懐が、1971年に林彪が失脚し二人が関わった「百団大戦」や「平型関戦役」など、共産党軍と日本軍との大規模な戦闘を取りあげることも完全なタブーとなった。そこで生まれたのが、抗日ゲリラ戦ものである。そこでは、時と場所を特定することなく、抗日戦が描かれている。
 1966年の映画『地下道戦』は、結局、18億人がみることになった(2005年までに)。爆発的にヒットした。もともと民兵に戦術を身につけるために制作された映画だが、娯楽作品として中国の国民に受容された。
 1960年代の中国映画に登場する日本軍人は、かつての残虐さと恐ろしさの代わりに、その愚かさと滑稽さが強調された。日本兵をあえて嘲笑の対象として描くことによって、残忍な日本人という従来のイメージを書きかえ、中国の国民のなかに鬱積していた日本人に対する深い憎悪を、笑いのなかで発散させようとする政治的な意図が働いていた。
 文化大革命の10年間に、中国でつくられた映画は、わずか数十本のプロパガンダ映画のみだった。そこで登場する日本兵は、文革以前より、さらに滑稽でかつ無害な存在だった。
 1985年になると、中国政府は国民党が率いた日本軍との正面戦の意義を客観的に評価するようになった。
 中国の映画については、中国人の一般観客がみたい物語と、政府が見せたい物語、国際映画祭で賞をとるための物語が分離していった。
 コメディタッチの抗日アクション映画は、ほとんど中国国内市場に限定して流通しているが、一つのジャンルとして確立し、現在なお人気は衰えていない。
 中国のテレビドラマ市場は、中国の産業において、もっとも市場メカニズムが支配する世界となっている。視聴者の教育レベルは決して高くはない。だから芸術性を追求するどころではない。
 抗日ドラマがブームになった要因は、主としてブームになった要因は、主として市場の側にあり、政府はむしろドラマに対する指導や規制に追われている。
 抗日ドラマの主な視聴者は、毛沢東時代を経験し、かつ、その時代に強いノスタルジーを抱く中高年層であり、彼らの支持により、一定の視聴率が保証される。
 国共内戦を描くときには、適役が同じ中国人であるために一定の配慮が必要だし、リアリティも求められるが、敵役を日本軍にしたら、格別の配慮はいらないし、ドラマティックな設定や暴力的な表現がいくらでも可能になる。そして、大物スター俳優でなくても、一定の視聴率は確保できるので、制作予算も少なくてすむ。つまり、エンターテイメント性をともないながら、歴史に向きあうというパターンの抗日ドラマが実際に多くの視聴者に受け入れられている。それは、日本の「水戸黄門」のような世界なのである。
 この解説は、本当によく分かりました。なるほど、なるほど、です。
(2013年10月刊。800円+税)

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