弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年2月 5日

倒壊する巨塔

アメリカ


著者  ローレンス・ライト 、 出版  白水社

 アルカイダと9.11への道、というサブタイトルのついた上下2冊の大作です。
 サウド王家、とくにファサイル国王の子供たちとビンラディン家の絆は非常に強かった。父王の載冠前後おけるビンラディンの得難い尽力を、息子たちは決して忘れなかった。
アフガン戦争の最初の数年間、ビンラディンは「生身の参加への恐怖」から、実際の戦場とは十分な距離をとっていた。この事実を、ビンラディンは後に大きく恥じることになる。
 ビンラディンがムジャヒディンのために1000万ドル近く集めたことによって、アフガン・ジハードにおける最高民間財務責任者と目されるようになった。
ビンラディンは、ジハードを戦うアラブ義勇兵とその家族に旅費と住居と生活費をもれなく提供した。毎月の支給額は1家族あたり300ドルだった。このビンラディンの出してくれるお金に惹かれて人が集まってきた。
 サウジ政府はアフガン・ジハードに対して年間5億ドルもの資金提供を行っていた。この資金は、アメリカ政府が管理するスイスの銀行口座に振り込まれ、ムジャヒディンの支援活動につかわれた。
 多くのアラブ青年をペシャワールに呼び寄せた誘因は、アフガニスタンで勝利を勝ち取ることではなく、死を迎えることだった。殉教こそ、まさにアッザームが若者やビデオなどで売り込んだ商品だった。華々しく、しかも意味のある死。人生の喜びや努力のしがいのない政府の抑圧下に暮らし、経済的な損失に人々がうちひしがれている場所では、そうした誘惑は、とりわけ甘美に響いた。
 殉教という行為は、報われることのあまりに少ない人生の理想的な代替物をそうした若者に与えた。輝ける死によって、罪人は最初の血のほとばしりとともに許され、死に至る以前に、すでに天国にそのところを得るといわれている。ひとりの殉教者の犠牲により、一族の70人が地獄の業火から救われるかもしれない。
 貧しい殉教者は天国で、地球そのものよりも価値のある宝石で飾られる。カネがなければ女性と知りあうチャンスすらなく、しかも高望みをいとう文化のなかで育った若者が、ひとたび殉教者になりさえすれば、72人の処女と夫婦になる喜びに浸れるという。黒い目の美しい乙女たちが、肉と果物とこのうえなき清浄なワインというご馳走とともに殉教者を待っている。
 アッザームが描いてみせた殉爛たる殉教者のイメージは、死のカルトをつくり出し、やがてアルカイダの中核部分を形成していく。これに対してアフガン人にとって、殉教という行為は、それほど高い価値をもっていなかった。このようにして数千人のアラブ人、実際に戦場に行ったのは数百人ほど、が戦況の推移に実質的な変化をもたらしたことは一度もなかった。
 アルカイダは、アフガニスタンで新兵を採用した。新兵はビンラディンに忠誠を近いというサインをし、秘密厳守を誓った。その見返りとして、独身者は月1000ドルのサラリー、既婚者は月1500ドルを受けとる。全員に毎年、故郷への往復チケットが支給され、1ヵ月の休暇が与えられ、健康保険制度も完備していた。
ビンラディンはアフガン・ジハードのさい、サウド王家のメンバーと密かに接触し、アメリカの参戦に対する感謝の気持ちを伝えている。
サウジアラビアの駐米大使、バンダル・ビン・スルタン王子は、ビンラディンが訪ねてきて、こう言ったことを憶えている。
 「ありがとうございます。世俗主義者、不信心者のソ連を排除するため、我々にアメリカ人をもたらしてくれたことに感謝します」
 世界にあまたの国があるけれど、互いにかくも異なりながら、かくも深い相互依存にある二国間関係はほとんど例がない。それがアメリカとサウジアラビアの関係だった。
同時多発的な自爆攻撃スタイルをアルカイダはとった。これは目新しく、リスクをともなう戦法だ。複雑で手間がかかるため、失敗の可能性や当局に事前に察知される危険性がそれだけ増す。だが、ひとたび成功すれば、比較にならないほど注目を全世界から集めることが出来る。
 アメリカの情報機関にとって、ビンラディンやザワヒリの動向をつかむ最善の方策は、彼らが使用する衛星電話の追尾だった。探索機を当核地域の上空に飛ばしていれば、電話を逆探知することによって正確な位置を割り出す手がかりが得られる。
 2000年10月12日、イエメンの港町アデンにいたアメリカ海軍のミサイル駆遂艦「コール」にモーターボートが近づいてきて爆発した。死者17人、負傷者39人。この攻撃はビンラディンにとって大勝利だった。そのおかげでアフガニスタンにあるアルカイダ系の基地は新兵たちであふれかえり、湾岸諸国の篤志諸国の篤志家立ちはオイルダラーの詰まったサムソナイトのスーツケースを携えてやってきた。資金が隅々まで行きわたりだした。
 タリバン政権の指導部は、この国にビンラディンがいるとの是非をめぐって意見対立を続けていたが、カネ回りが良くなるにつれ、制裁や報復への懸念はあるものの、アルカイダに対してより協力的になっていった。
 2001年7月5日、アメリカの国家対テロ調整官ディック・クラークは、アメリカ国内を管轄する各政府機関FAA(連邦航空局)、INS(移民帰化局)、沿岸警備隊、FBI、シークレット・サービスなどの代表を一堂に集め、ひとつの警告を発した。
 「何か非常に人目をひくような、派手な出来事が、それも近々起こるはずである」と全員に申しわたした。
 9.11のあった日の夜、私は何も知らずに福岡の先輩弁護士たちと会食し、ホテルに戻ってテレビをつけたのでした。最初みたとき、何の映像が理解できませんでした。世の中には信じられないことが起きるものです。
この本を読むと、あのテロ行為は、アメリカが育成したテロリストたちがアメリカに牙を向いたという意味で必然だったということが分かります。とんでもないことですが、結局、アメリカの暴力的体質は報復の連鎖を生むものだと言うことなのです。根本的な発想の転換が求められています。
(2009年10月刊。2400円+税)

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