弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2014年2月 3日

ザ・タイガース、花の首飾り物語

社会


著者  瞳 みのる 、 出版  小学館

 グループ・サウンズのザ・タイガースといえば、私の大学生時代には大変な人気でした。
 なかでも、この「花の首飾り」という歌は、私も大好きでした。
 そうは言っても、若い人たちと話すと、「なんですか、それ?」という反応があり、ちょっぴり悲しくなります。
花咲く娘たちは  花咲く野辺で
ひな菊の花の首飾り
やさしく編んでいた
 この歌詞は、なんと月刊『明星』で懸賞募集されてつくられたものだったのです。それも、なんと、1ヵ月あまりのうちに13万通も応募作品が殺到したというのですから、驚きます。
 当選発表は1968年(昭和43年)1月に発売された。『明星』3月号。当選者は当時19歳の北海道の女学生、菅原房子。1等の賞金は5万円。私が大学1年生のころのことです。ようやく東京での生活にも慣れてきました。月に1万5千円ほどで生活していましたから、5万円というと、3ヵ月も生活できることになります。大金です。3月に武道館で1万2000人を集めてザ・タイガースの新曲発表があったのでした。ヒットチャート首位を7週連続で続けたほど売れました。大変なブームでした。
 著者はザ・タイガースで「ピー」と呼ばれ、ドラムを叩いていました。ザ・タイガースの解散後、出身地の京都に戻り、芸能界と縁を切って勉強し、慶応大学に入り、卒業後は慶応高校で40年間、漢文を教えていたそうです。すごい人です。
 そして、作詞をした女子学生を、北海道まで飛んで探りあてるのでした。
 菅原さんは当時、定時制高校生。チャイコフスキー作曲のバレエ音楽「白鳥の湖」をモチーフにして書いた。国語が嫌いで、文章を書くのも嫌いで、詩など作ったこともなく、決して文学少女でもなかった。友人に誘われて、みんなで書いて応募することになって送ったという。もちろん、熱心なタイガースファンだった。
菅原さんの当時の住所は、北海道の八雲町。函館の近くになる。私も一度、行ってみたくなりました。
 菅原さんの送った歌詞は今のものとはかなり違っています。なかにし礼が補正して、すっかり変わっているのです。
 でも、なかにし礼が次のように言っているのは、私もそのとおりだと思いました。
菅原さんのつづり方がなかったら、これは生まれなかった。サッカーで言えば、10人の選手は菅原さん。最後のゴールを決めたのが、僕(なかにし礼)。
 物語として、断トツだった。しかし、それは詩になっていなかった・・・。
 そして、メロディーのほうは、わずか5分で出来あがったというのです。さすがプロは違います。なつかしい青春の歌のひとコマをたどることが出来ました。ありがとうございました。
(2013年12月刊。1500円+税)

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