弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年10月27日

支倉常長・遣欧使節

日本史(戦国)

著者  太田 尚樹 、 出版  山川出版社

スペインに日本(ハポン)姓の人が800人ほどもいて、それは400年前の仙台藩の支倉常長たちの遣欧使節のヨーロッパ残留組の子孫だという話です。
スペインはセビリア郊外の川岸の町に日本人の子孫が800人ほど住んでいる。それは残留日本人5人の子孫たちだ。400年前、支倉常長一行がここを通過したとき、日本に戻るのを希望しなかった日本人がいた。
 ハポンとは日本のこと。名前にハポンというのをつけているのは、日本との関わりを残すためのもの。本当の名前は別にあったはず。
 「わが家には、ビョウブ、カタナ、ハシ、ワラジという言葉が先祖代々伝わっていた」
 ハポンの人々の多くは、赤ん坊のころ、お尻に蒙古斑が出る。
 ハポン性の人には富豪はいない。無難で、地道な生き方をしていた。漁業や農業、そして最近では公務員、教員、銀行員、医師を輩出している。
 支倉常長が会ったスペイン国王はフェリペ3世(37歳)。6歳のとき、同じ日本(ジパング)から4人の少年たちがスペインの宮殿にあらわれたときにも、立ち会った。
 支倉常長はキリスト教の洗礼を受けた。ただし、主人の伊達政宗は、キリストには関心はなく、ヨーロッパとの通商を考えていた。しかしながら、キリスト教の禁令は厳しさを増していた。
石巻を出発した船には、スペインの船員40人と日本人140人が乗っていた。日本人の多くは交易商人だった。4年後に仙台に帰り着いたのは26人のうち13人。少なくとも8人は日本に帰ってこなかった。
 支倉常長に対する評価は、当時のスペイン側の記録によると、ベタ誉めで、はったりのない、実直な人柄が評価された。
 支倉はスペイン国王やローマ法王の前でも、日本語で堂々と挨拶した。
出発したとき、42歳で、堂々たる腹のすわった人物だったようです。
すごいですね、400年たって、日本人の子孫がスペインにかたまって生活しているとは・・・。
(2013年8月刊。1600円+税)

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