弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年10月 1日

憲法を守るのは誰か

司法

著者  青井 未帆 、 出版  幻冬舎ルネッサンス新書

これまでの歴史をひも解いてみれば、権力行使の「行き過ぎ」の例は枚挙にいとまがない。だからこそ、本当に自由を奪われ、人権が侵害されないように、国家権力を縛り、コントロールしなければいけない。どんな人が統治にあたることになっても人権侵害が起こりにくいような「仕組み」をつくっておく必要がある。そうした、権力に服する側の国民の目線でつくられたのが、権力分立をともなう統治の仕組みを定めた憲法である。
 憲法によって国家権力を制限して人権を保障する、つまり政治を憲法に従わせるというのが立憲主義の考え方。
明治憲法の下では、政府のもつ権力がきちんとコントロールされ得なかったために、無謀な戦争に突き進み、多くの人々に生命・身体・財産における犠牲を強いながら、日本は焦土のなかで敗戦を迎えた。
明治憲法には、人々の自由や人権といった概念やその保証のための制度が大いに欠けていた。
 憲法は「道徳本」とは違う。国家は、人の心に入り込んで、その選択に介入してはならない。人権というのは、フワっとした概念で、とらえどころのないもの。
多数者に天賦人権を観念しなくてはならない切迫性はない。天賦人権論をもっとも必要としているのは、多数者から有形無形の圧力を加えられることに起因して苦しむ少数者だ。
選挙で勝った「時の多数者」によって、簡単に人権規定などの重い意味をもつ憲法の規定がコロコロと変えることができるというのは、選挙という民主的政治過程で負けてしまいがちな少数者の人権を危機にさらすことにほかならない。
 憲法96条改正先行論は、憲法改正は、少数者の基本的人権保障がかかわる以上、慎重にも慎重を期そうという現行憲法の狙いとするところを没却するもの。
 劣勢に立つ側の「武器」として憲法論は、法律の論理を外側から変化させる理屈として、もっと使えるはず・・・。
 戦争は、人々の生命・身体・財産・自由が奪われるという人権の問題だ。だから安全保障政策は人権の問題である。だからこそ、国家の統治を人権保障という観点から監視する必要がある。
 自衛隊は、日本政府の説明によると、国家固有の自衛権にもとづいて正当化されるもの。明治憲法の失敗の一つには、軍部の強い自律性を外部からコントロールできなかったことにある。天皇は戦前の軍部などの前に権威づけとして利用されていた。
 立憲主義とは、自由を守るための知恵である。自由や人権が保障されることが、憲法や立憲主義の目的である。
 有事の際に、弾となり、盾となるのは、私たち国民である。どう変えるのかも不明なままで、憲法改正に賛成することは具体的な制度づくりを政治家にゆだねるということになり、これは、無謀であり、危険が大きい。
 10月3日に広島で開かれる日弁連のシンポジウムで著者に基調となる講演をしていただきます。若手の学者による鋭い問題提起が聞けるのを楽しみにしています。
(2013年7月刊。838円+税)

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