弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年8月16日

日本人の地獄と極楽

日本史(江戸)

著者  五来 重 、 出版  吉川弘文館

20年前に刊行された本の新刊本です。著者は亡くなられています。「ごらい・しげる」と読みます。昔の学者の博識には驚かされます。東京帝大の印度哲学科卒業です。全12巻の著作集がある本格派です。
 大和の三輪(みわ)山は万葉の歌にうたわれる秀麗な山容で知られ、神体山という信仰がある。しかし、江戸時代は「おしろ谷」と記録される風葬の谷、つまり地獄谷だった。
 風葬の谷と推定される地獄谷を「阿古谷」(あこだに)または「阿古屋」(あこや)と呼んだ。地獄谷のなかで、規模も大きく古代からよく知られていたのが、越中立山の地獄だった。
 大峯山(金峯山)に入峯することは、いったん死ぬことであり、山中遍歴は死後の山の遍歴であって、その苦痛によって、それまでに犯した罪穢をすっかり浄化、滅罪してしまう。そうすると、成仏することもできるし、極楽浄土へ往生することもできる。これが山岳宗教の基礎理念だった。
 一般人(新客)は、罪穢の浄化・滅罪によって健康になり、長寿が得られ、災をまぬがれることができる。
日本人の死後観には地獄と極楽の未分化の期間があって、それを「中有」(ちゅうゆう)と呼び、49日間は魂は「屋の棟(むね)を離れない」などと言う。
 日本人の他界観は、地獄と極楽は地続きで、隣り合わせである。これは仏教の教典と根本的に相違する。村や町の墓地がもっとも眺望のよい高燥の地にあるのは、身近な浄土の機能の一部を墓地がもっているためである。谷は地獄谷となり、山は浄化山となって、罪の浄化のすまない霊は地獄谷におり、供養によって滅罪・浄化された霊は山上の浄土に上ると信じられた。日本人は罪には重量があると信じたようで、霊は罪のために谷や地獄に沈淪(ちんりん)しているが、それが軽くなるにしたがって高いところに「浮かぶ」ことができる。その浮かんだところが光明にみちた高天原や霊山の頂点で、そこが仏教的には極楽だった。
 キリスト教では、天国こそ現実性をもった理想の世界だったが、日本人にとっては地獄こそ現実性をもった恐るべき世界だった。
 日本人の地獄観のもっとも大きな特色は、地獄巡りと地獄破りがあること。地獄破りという不遜な物語があるのは、地獄を必ずしも不可避的な律法と考えなかった人間主義のあらわれだろう。
 お盆は地獄の連休である。亡者がどんどん婆婆へ帰っていく。
民間神楽(かぐら)の大部分は、かつての山伏神楽であって、修験道から出たものだということが最近になって、わかってきた。
 童話や絵本で「おむすびころりん」と呼ばれているものは、地下は地獄だということ。この昔話は、日本人の地獄が浄土と同列に意識されていたことを示す。そこには、地蔵に表象された祖霊がいて、心正しい慈悲深い子孫には福を与えて婆婆へ送り返す。しかし、罪深く、穢の多いものは、その業火で仮借(かしゃく)なしに攻め苛(さいな)む。
 日本人として知っておくべきことが盛り沢山の本でした。
(2013年5月刊。2100円+税)

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