弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年7月26日

讀賣新聞争議

日本史(戦後)

著者  田丸 信堯 、 出版  機関紙出版

なんだか難しい旧漢字の新聞ですよね。ええ、もちろん、今のヨミウリ新聞のことです。戦後まもなく、GHQのもとで経営権と編集権をめぐって大争議が起きたのでした。それに経営者側が勝利して、今の右寄り、権力の代弁者のような新聞になったようです。
 そこで、オビには、読売新聞争議を知らずして現代は語れない、戦後史の原点を問いただそうという呼びかけが書かれています。
 今から16年も前に発刊された本です。昨今の新聞・テレビのあまりに権力べったりの報道姿勢に首を傾けていましたので、その原点を知るべく手にとって読んでみました。
 テレビ・ドキュメンタリー風に(映像的復元のように)話が展開していきますので、とてもリアリティーがあり、分かりやすい本になっています。
 戦前、そして戦中、日本の新聞は庶民側ではなく、戦争に駆り出す側に立っていた。戦争から自分を守る判断・手段の一切を奪われていた庶民をうえから見下ろしていた。
 正力松太郎がヨミウリの社長として君臨していました。正力は、戦前は特高警察官でもあります。
 「共産党が、オレをどれだけ憎んでおるか。やつらの十八番(おはこ)は人民裁判だ。処刑されてたまるか」
 戦前の日本で弾圧されていた鈴木東民が編集局長となったヨミウリ新聞は、社説で人民戦線内閣をつくれなど、激しい論旨を展開した。これに対して、共産党の主張に肩入れしすぎるという反発が内外に湧き起こった。世間では、ヨミウリ新聞は共産党の機関紙になったとかいう「デマ」が飛んでいた。
 1946年4月の戦後はじめての総選挙では、女性も参政権を得ることができた。
 自民党1350万票、進歩党(政府与党)1035万票、社会党986万票、共産党214万票だった。
 逆流が起き、ヨミウリ新聞は率先して天皇制の擁護と反共産主義を打ち出した。そして、それを吉田茂を通じてマッカーサーに約束した。
ところが、鈴木編集局長のもとで激しい紙面となり、販売部数が激減し、販売店が押しかけてきた。
 「アカの新聞で、おまんまを食べては正力さんに申し訳ない」
 「共産主義は、わが日本の読者には受け入れられない。それが正力の信念だ。天皇のことを、いつまでもしつこく書くな。共産党の証拠だ」
 ヨミウリからアカを追放せよというのは、GHQからの至上命令だった。
アメリカは、アカが大っ嫌いだ。今に必ず全国規模のアカ狩りをやるだろう。
弾圧に抗するたたかいは全国的な支援も受けて盛りあがった。しかし、結局のところ敗北した。鈴木東民は後に共産党を離党して、故郷に戻り、釜石市長に当選した。
 知っていていい読売新聞の歴史だと思いました。
 権力の代弁者の新聞なら、はっきりそう自己表明すべきですよね・・・。
(1997年8月刊。1500円+税)

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