弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2013年1月31日

北朝鮮現代史

朝鮮

著者  和田 春樹 、 出版  岩波新書

北朝鮮とは、いかなる国なのかを知る、コンパクトな新書です。
 1942年、ソ連領内に抗日連軍があった。みなソ連軍の軍服を着ていた。崔康健も金日成も、みな大尉だった。軍事指導は中国人、党は朝鮮人という分業があった。そして、朝鮮人としてはトップは崔康健であり、金日成はその下だった。
 1942年、金日成の妻である金貞淑は男の子をソ連領内で産んだ。金正日である。
 ソ連は戦後の朝鮮占領に対する準備をほとんどしていなかった。かつてコミンテルンで働いていた朝鮮人の共産主義者のほとんどは、1930年代にスターリンの指令によって日本のスパイとして処刑されていた。
 中国では党の軍隊だから、中共党の軍事委員会が中国人民解放軍を管理している。北朝鮮の場合には、党とは別個に軍が組織された。
 1948年2月、朝鮮人民軍の創建が公表された。北朝鮮人民軍ではなかった。
 朝鮮民主主義人民共和国の首都は憲法ではソウルとなっており、平壌は仮首都である。
 1949年3月、金日成、朴憲永らは北朝鮮政府代表団としてソ連を訪問し、スターリンと秘密に会見した。金と朴は「国土完整」の希望を伝えたが、スターリンはこれを許さなかった。
 1949年4月、中国人民解放軍が南京を陥落させた。北朝鮮の士気はますます上がった。スターリンのソ連は、1948年末まで、朝鮮の米ソ分割を前提とする政策を改める気配をみせなかった。
 1949年10月、毛沢東が天安門の上で中華人民共和国の建国を宣言した。
 1950年4月、金日成と朴憲永らは、モスクワでスターリンと会見した。スターリンは最終的にOKしたが、中国に行き、毛沢東の意見をきいて決定するよう求めた。
 1950年5月13日、金と朴は北京に到着し、毛沢東に会見した。毛沢東はアメリカ軍が参戦する可能性があるとみていて、そのときには中国は軍隊を派遣すると述べた。
 1950年6月25日未明、38度線の前線で北朝鮮軍による軍事行動が開始された。このとき、北朝鮮にはT34戦車が258台あったが、韓国側には1台もなかった。
 スターリンにとって、ソ連が支持して北朝鮮が南に攻めたということは絶対に世間に知られてはならないことだった。
 6月30日、アメリカ政府は東京のマッカーサーに地上軍の派遣を許す決定を下した。これはスターリンと金日成の予想に反していた。
 10月19日、中国人民志願軍12個師団が鴨縁江を超えた。18万人を超える大兵力は静かに米韓軍に接近し、重大な打撃を与えた。うろたえたアメリカのトルーマン大統領は原爆のしようもありうるとしたが、イギリスのアトソー首相にいさめられて、思いとどまった。
 1950年12月、金日成は戦争の作戦指導から完全に排除された。金日成にとって、これは屈辱的な事態だった。戦争は、組織的にもアメリカ軍と中国軍との戦争になった。
 アメリカは、李承晩大統領の意見は聞きもしないし、説得もしなかった。
 朝鮮を統一民族国家として再建したいという民族主義者の願望を実現しようとしてはじめられた朝鮮戦争は、北の共産主義者の側からみても、南の反共産主義者の側からみても失敗に終わった。朝鮮戦争は朝鮮の統一をもたらしえず、失敗した。この失敗の責任を誰にとらせるかがスターリンの関心事だった。
 1953年1月から、平壌で、朴憲永ら南労党系が逮捕された。朝鮮戦争は、金日成の軍事的失敗を意味したが、結果は金日成の政治的勝利だった。
 停戦の時点で北朝鮮にいた中国人民志願軍は120万人だった。
 1956年2月、スターリン個人崇拝批判が始まった。このとき、北朝鮮では、個人崇拝とは朴憲永崇拝のことだとされた。金日成崇拝は「個人崇拝」ではないという論法で対処された。
 今の北朝鮮は「先軍政治」をとっている。これは、正規軍国家ということ、つまり党国家というより、軍国家体制なのである。
血なまぐさい権力闘争を経て成り立っている北朝鮮の政治体制の内実が実にコンパクトに分かりやすくまとめられた新書です。
(2012年4月刊。820円+税)

 東京でデンマーク映画『アルマジロ』をみました。アフガニスタンに派遣されたデンマーク軍の兵士たちの活動を紹介する映画です。アルマジロというのは、農村地帯にある前線基地で、そこから兵士たちがパトロールに出かけ、タリバンと戦います。デンマーク軍が村民に対して「あなたたちを守ってやっているから、情報を知らせてくれ」と頼むと、村民たちは拒否します。「そんなことをしたら、タリバンに殺されてしまう」。子どもたちも口々に、「家に帰れ」と兵士に言います。
 タリバンとの戦闘場面が生々しく(フィクションではありません)、軍隊は結局、人々の生活も平和も守ることは出来ないことを実感させます。デンマークで公開されたら、アフガニスタンへの派遣支持が一挙に低下したそうです。当然だと思いました。

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