弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年11月16日

悪いやつを弁護する

司法

著者   アレックス・マックブライド 、 出版   亜紀書房 

 イギリスの弁護士が書いた本です。イギリスの司法制度は日本とかなり違うのですが、日本とよく似ているところが多いのには驚かされます。
 イギリスの法曹資格には、バリスタ(法廷弁護士)とソリシタ(事務弁護士)の2種類がある。
 法廷でモーツァルトのようなかつらを被って弁護するのはバリスタで、ソリシタには弁論技はなく、バリスタの補佐役をつとめる。
 最近、この区別がなくなったように聞きましたが、この本では、厳然と区分されていることで話はすすみます。著者は刑事訴訟のバリスタです。
バリスタを目ざす者は、ロースクールを卒業したあと、面接や試験を経てチェンバー(バリスタの組合)の一つに見習いとして採用されなくてはならない。見習いとして薄給でこき使われる1年間の実務研修のあと、テナント(チェンバーに永久的に所属できる身分)になるには、大変な狭き門を通らなければならない。
法廷で当意即妙、丁々発止の弁論を行うバリスタの特質は政治家に求められる特質でもあるため、イギリスではバリスタ出身の政治家が多い。サッチャーとブレアは、ともにバリスタ出身である。
 バリスタが誰かを弁護するには、その人の言い分を受け入れなくてはならない。心でも頭でも受け入れるのだ。それは心理的な、そして倫理上のトリックである。彼らの立場になって、考え、信じる。たとえ、それがむかつくほどひどい話であっても。
バリスタの勝算は小さく、自分の技量だけを頼りに不安な確実性の中で生きている。だからこそ、勝算は自分を高めてくれる。勝利すると、抜群に気分がいい。そして、それなしでは生きられなくなる。勝利中毒になってしまうのだ。
 刑事訴訟のルールの絶対的な目的は「刑事事件が公正に扱われる」ことにある。この目的の重要な原則は、裁判のプロセスが、「罪なき者を無罪放免し、罪を犯した者を有罪にすること」である。罪なく者を無罪放免することと、罪を犯した者を有罪にすることのどちらかより重要だろうか。刑事司法制度は、この二つのうち、どちらかを選ばなくてはならない。
陪審員が有罪とするには、"おそらく"ではなく、確信する必要がある。
 陪審裁判には、派手で天文学的な報酬が得られる商法関連の事件(争議)にはない重要性や神秘性がある。陪審員なくして、真のドラマは生まれない。
 刑事裁判の法廷が面白いのは、さまざまな人間の姿こそが、そこでやりとりされる通貨だからだ。そこでは、半面の心理、悲劇、悲運、哀れな嘘、救いようのない愚かさ、底なしの強欲や、自己抑制の喪失が丹念に調べあげられる。
イギリスで刑事裁判が陪審裁判となるのは、過去200年のあいだに90%から今日の2%にまで低下した。有罪答弁すれば、陪審裁判ではなくなり、最大で量刑の3分の1が減らされる。
 著者が陪審裁判を好むのは、裁判官にはない独立性があるから。陪審員には、生活が陪審の仕事にかかっていないし、一生の仕事になる可能性もない。だから、批判や冷笑を受ける心配がなく判断できる。陪審員の頭はフレッシュで過去の経験にとらわれず、事実のみで判断できる。そして、何より法律家と異なり、法律の条文にとらわれていない。
 イギリスで刑務所人口が増え続けた過去10年間に、再犯率は下がるどころか、12%も上昇した。刑務所に入っている人間のほとんどが社会の割れ目から滑り落ちた最下層出身である。
 あまりにも日本と共通することに驚嘆するばかりです。
(2012年6月刊。2300円+税)

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