弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年10月25日

アンネ、私たちは老人になるまで生きのびられた

ドイツ

著者   テオ・コステル 、 出版    清流出版

 オランダに住むユダヤ人のアンネ・フランクとクラスメートだった人たちが65年たって集まったのでした。アンネと同じ中学校に通ったのです。
 このユダヤ人中学校の建物は今もあり、現在は理容美容専門学校として使われている。ユダヤ人中学校の生徒たちは、半数が戦争を生き残ることができた。しかし、オランダのユダヤ人全体でみると、その数はわずか2割だ。裕福であること、コネがあること、頼られる友人がいることが、ある程度までは生き残る助けになった。
アンネはアンネ・フランクという呼び方が好きだった。
アンネが自分の家で開いた誕生パーティーのときには、アメリカの映画の「名犬リンチンチン物語」が上映された。
 アンネには、いつも男の子の友だちがたくさんいた。アンネは胡椒みたいな、おしゃまな女の子だった。教室でのアンネは、教師から指名されなくても平気で勝手に発言するような、生意気な女の子だった。
  アンネはとても活発な子だった。いつも人の輪の中心にいたがっていた。注目を集めるのが大好きだった。正直なところ、アンネは、どこにでもいる普通の女の子だと思っていた。アンネは、正直で一風変わった女の子。アンネは大人っぽくて、しっかりしていた。
あの年代の女の子が、友だちから引き離され、植物や動物からも引き離され、実際すべてのものから引き離されて、大人ばかりに囲まれた環境に身を置くと、いろいろなことが一気に成長するもの。あの特殊な環境のせいでアンネは急速に成長せざるをえなかった。だから、作家としての才能も一気に花開いた。アンネの文章は美しく、とても十代の少女が書いたものとは思えない。
 イギリスに亡命したオランダの政権の教育大臣は、ラジオで日記のような証言記録を残すことを呼びかけた。アンネは、呼びかけに答えて日記を書きはじめた。
 強制収容所ベルゲン・ベルゼンで、アンネはチフスと想像を絶する飢えに苦しみながら4ヵ月のあいだ生き抜いた。そして、1945年3月、解放のわずか数週間前に亡くなった。15歳だった。
 「アンネフランクのクラスメート」というドキュメンタリー映画がつくられたようです。みてみたいものです。読んでいるうちに、なんとなく元気の出てくる、いい本でした。
(2012年8月刊。1600円+税)

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