弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年10月 7日

天一 ・ 一代

日本史

著者   藤山 新太郎 、 出版    NTT出版 

 面白い本です。車中で夢中になって読みふけっていました。奇術を見るのが大好きな私ですので、ゾウが消えた、あのイリュージョンはどんな仕掛けだったのだろうか・・・。両手の親指をしばったまま、目の前にある棒を通過させる技は一体どうなっているのか。不思議でなりません。
 でも、同じ芸をずっと見せられ続けていると客はあきが来る。それをカバーするのが話術だ。ここらあたりの説明は、なるほどなるほど、人間の微妙な心理をよくとらえていると感心します。
 大がかりな仕掛けだけでは、決して興行としてはうまくいかないというのです。そこでは、巧みな話術と人間性で勝負するというわけです。ふむふむ、そうなのか・・・。
この本は明治期に活躍した松旭天一の波瀾万丈の生涯をよくよく調べて紹介しています。すごいんです。日本で成功して、アメリカに渡り、そこで苦労して成功すると、今度はヨーロッパに渡って大成功をおさめます。ちょうど日露戦争のころ。日本人ってどんな人種なのか知りたい、見てみたいというヨーロッパの人々の好奇心にこたえることにもなって興行は大成功。そして、日本に帰国して、あの歌舞伎座で上演して画期的に成功したのでした。なにしろ持てる財産(1億5000万円)全部を投げ出してしまったというのです。そして、それを全国巡業で取り戻したというから、さすがです。
芸人にとって名前は重要だ。不遇な芸人は、とにかく卑屈な名前や洗練されていない名前をつける。大きくなる芸人は初めから大きい名前をつける。
 天一は、実子は誰も奇術師にせず、養子のみを奇術師にして、天二と名付けた。
 天一の声は太い胴間声で、実によく台詞が通った。天一は穏やかで丁寧な言葉づかいをしたから、多くの地位ある人に支持された。天一は、カイゼル髭を生やし、大礼服を着、堂々たる姿勢、綺麗な言葉づかい、舞台のマナーの良さがあった。
仕掛けの道具を入手しただけでは観客の心はつかめない。奇術師自身が立派で大きくなければ観客は呼べない。
 水芸の前半は、ひょうきんな芸を見せる。後半には、表情をほとんど入れず、堂々と構えたシリアスな演技に切り替える。まるで神々が無心に遊んでいるような天上の世界を見せようとした。そのため、天一は、表情を取り去り、まるで全能の神のごとく、何ら思い入れをせずに淡々と演じる。すると観客は、水芸を見ているうちに、どんどん高みに昇っていったような錯覚を覚え、日常を超越した世界に到達する。それは天一が生涯かけて表現したかった世界であり、この神々しい世界を当時の観客は絶賛した。
 奇術師が不思議を提供するだけで生きていけるのなら、その技のみに専念すればよい。しかし、現実には、それでは生きていけない。なぜなら、不思議は成功すればするほど観客に緊張を強いてしまう。緊張が連続すれば観客は疲れてしまい、奇術を見ることが楽しみにつながらない。そうなると、奇術は芸能として失格だ。そこで、奇術師は不思議を強調しつつ。冗談を言い、寸劇を演じ、緊張を和らげる。実は笑いはマッチポンプなのだ。奇術師は不思議を演じ、緊張を強いながらも、笑いで目先を変え、別の世界に連れ出し、緩和を提供する。こうすることが息長く観客に愛される秘訣なのだ。変な職業である。
 ここが分からず、不思議ばかり見せ続ける奇術師は恵まれない結果に終わる。もっともギャグの多すぎる奇術師もいけない。初めからおしまいまで馬鹿馬鹿しいと、すべてが嘘くさくなる。まず、観客が本気にならないことには奇術は成功しない。十分に不思議がらせて、そのうえで観客が入り込む余地を残しておく、ここのさじ加減が難しい。天一は、そこがうまかった。
 大きな成功をつかむためには、よい観客層を集めなければならない。よい観客はよい劇場にしか来ない。
 日本の奇術が目ざしていたものは演劇であった。日本の奇術は、歴史的にも、なぜそうなのか、なぜそう演じるかの背景をつくりあげている。演劇をみるのと同じように人物と情景を掘り下げて語っていく。
 天一は、弟子の誰にでも奇術を教え、隠すところがなかった。天一は弟子の長所を見つけ出すのがうまかった。その結果、数々の弟子が育ち、松旭斎の一門は天一の没後100年の今日に至るまで繁栄している。弟子たちの努力によって一座は引退間際まで大入りを続け、天一は有終の美を飾ることができた。
 天一は明治45年(1912年)、59歳で病死した。直腸がんだった。
 奇術に少しでも関心のある人には、こたえられない一冊です。
(2012年7月刊。2300円+税)

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