弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年6月 1日

西都原古代文化を探る

日本史(古代史)

著者   日高 正晴 、 出版   宮崎文庫

 3月に2度も宮崎へ出張することがあり、宮崎空港の書店で目にして購入した本です。
 西都原(さいとばる)古墳の壮大さには圧倒されます。まだ行っていない人には、ぜひ現地へ足を運ばれるよう、強くおすすめします。佐賀県の吉野ヶ里遺跡も一見の価値が十分にありますが、規模では西都原のほうがすごいと私は思います。
 なにしろ宮崎県内には前方後円墳が160基、古墳全部では1590基もあるというのです。ここに古代文明の一大拠点が遭ったことは、このことからも明らかです。そして、宮崎県の中央平野部地帯に1200基あまりの古墳がまさに群在しているのです。奈良の古墳群だけを見て日本の古代文化を語るのは少し公平を欠くと思います。西都原だけで600基に及ぶ大古墳群があるのです。現地に行くと、その壮大な規模に圧倒されます。
 西都原古墳群には、前方部が細長く、その高さが低くて幅も狭い、特殊な形成の柄鏡(えかがみ)式古墳が散在する。この柄鏡式古墳は、広義の分類では前方後円墳の一形式である。
 そして、古墳群の中核をなす墳基として、男狭穂(おさほ)塚と女狭穂(めさほ)塚の存在が特筆される。全長200メートル前後、高さ15メートル以上、経100メートル前後というもの。帆立貝式古墳である。畿内と吉備地方以外には存在しない、西日本最大の巨大古墳である。
 なぜ、こんな辺鄙なところに160基もの前方後円墳があるのか?
『日本書紀』に語られる景行天皇の熊襲(くまそ)征討の伝承の九州行幸ルートにそって、柄鏡式系統の前方後円墳が点在している。
 男狭穂塚・女狭穂塚の築造された5世紀前半において、西都原地区を中心に古代日向の政治的本拠が確立されたと推測できる。畿内大和王権と密接な関連をもつ日向王権の勢力のもとに、西進・南下政策がとられてきた。
 飛鳥時代においても、古代日向の本拠は西都原地帯にあった。鬼の窟(いわや)古墳は、西都原古墳群のほぼ中央部に、一基だけ独立して存在する大形の円形墳である。
 私もこの「おにのいわや」古墳にのぼりましたが、広々とした草原の中央に大きな古墳があることに大いなる驚きを感じました。
 昔、この日向地区は、代表的な馬の産地でした。「日本書紀」下巻にもそのことが明記されているとのことです。そう言えば、都井岬には、今も野生馬がいるそうですね。
 「日本書紀」には応神天皇は、筑紫の蚊田(かだ)に生まれたと書いてあるとのこと。この応神天皇が九州にゆかりの深い天皇だということを知って驚きました。
 西都原を中心とした大古墳文化に象徴される日向勢力が畿内の大和王国と協調しながら、九州における中心的な拠点として、その地位を確立していた。
 大首長墓としての男狭穂塚、女狭穂塚の築造も、西九州のクマソ勢力に対して誇示するために巨大古墳の出現となった可能性が強い。
クマソに対抗する文化として西都原を拠点とする文化があり、それは、畿内の王権と密接な関係をもっていたようです。
 そうは言っても、現代日本では、西都原は福岡からはとても遠くて、行くのは大変で苦労するのですが・・・。
(2009年8月刊。1800円+税)

 今の時期しか食べられないエツのフルコースをみんなで食べに行きました。筑後川の下流、海水と河川の混じる気水域でしか取れないカタクチイワシの仲間です。ほっそりとした白身の魚で、刺身、煮つけ、塩焼、南蛮漬け、てんぷらと手を変え品を変えてフルコースで出てきます。
 今回は調理師による実演まであり、美味しくいただきました。佐賀県諸富町にある津田屋が行きつけです。

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