弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年2月17日

新自由主義教育改革

社会

著者   佐貫 浩・世取山 洋介 、 出版   大月書店

 日本の教育制度が大きく変わってきたことを教えられました。教育の国家統制なんて、私はとんでもないことだと思うのですが、いまや橋下流の教員統制の強化が企てられていて、それをマスコミがもてはやすという恐ろしい事態が進行中です。
文科省が1958年以降、与党と一体となって作りあげてきた公教育制度は、教育が国家統制に服しさえすれば、「情と情け」にもとづいてある程度のお金が配分され、教員の身分も安定化され、教員出身地域の有力者による地域教育委員会支配も許すものとなっていた。
 新自由主義教育改革は、それとは異なり、下のものがいくら「恭順の情」を示しても、成果が出なければお金を配分することはなく、情け容赦のない成果主義を特徴としている。
 それが、文科省のこれまでの支配形態の脅威となることは確かであり、文科省がその権益擁護に懸命になることも了解可能ではある。
 教育における国家のパワーあるいは教育に対する国家の関心は軽減されるどころか、より一層強化されている。
 国家の役割の縮小であったはずの新自由主義が、より強力な国家を生み出している。
 新自由主義教育理論にもとづく教育改革が十分に展開したとき、2つの大きなインパクトを公教育に与える。その一つは、学校体系の多様化。その二は、公教育管理方式の徹底したトップダウン化とアウトプットのコントロール化。中央教育行政から教師に至るまで、徹底的に階層的に再構成される。中央政府の機能の重点は、外的条件に関するナショナル・ミニマムの設定と、それを実現するのに必要な財源の確保と、それの地方政府への移転から、全国的な教育内容標準の設定と、その達成度の評価基準・方法の設定へと移行する。そして、子どものニーズを基礎にして算出される予算は廃止され、実質的には算出根拠をもたない生徒一人あたり予算制度が導入される。
 学区制度は、学校間競争の一形態である学校選択制度が導入されることにより取りはらわれ、学校間競争を実効的に組織するために、学校選択制度のもとにおいて集めることのできた生徒数に応じて予算が配分される。
 地方教育行政はその独自性を失い、地方一般行政の経済発展政策へと吸収される。
 学校は、校長を頂点として重層構造化される。学校評価は中央政府の設定した教育内容標準にもとづいて行われるだけでなく、生徒の高いパフォーマンスを生む制度的条件である、学校組織の階層化と校長への権限の集中の程度にもとづいて行われる。
 教師は中央政府から始まるPA(主人一代理人)関係の連鎖の末端にある代理人として位置づけられ、その職務遂行上の自律性を奪われ、教職の専門職としての性格は消滅する。そして、教師間競争のために能力評価制度が実施される。
 2001年の学校教育法施行規制の改正によって、学校評議員制度が導入された。学校は学校長を法人長とし、学校評議会を法人の管理運営機関とする、法人に疑似する組織として再編成されることになった。
 2007年に改正された学校法は、校長、教頭、教諭のほかに、副校長、主幹教諭、指導教諭の三つの職を新設し、学校の重層構造化を決定づけた。
 本来、平等な公教育サービスを提供してきた小・中学校をも序列的に再編し、上位に来る層に重点的に資源配分していくために改革が進められている。行政は、「教育的効果」をあげることが導入の狙いであるとし、それが東京都に一定数存在する「教育熱心」な中間層を中心とする保護者の支持を得ている。
 2000年から2008年の間に、東京の23区で130校以上の小中学校が廃校となった。大規模な統廃合が短期間に実施された区では、コミュニティーが大きく変質した。学校選択制が導入されて時間がたつ足立区や品川区などでは、地域の教育力の低下、子どもの「荒れ」が目立っている。
 経済格差が教育格差となってあらわれている。就学援助の受給率が7~8割になる学校もある。流出校(子どもが集まらない学校)では、成績上位者が集まらず、授業や生活指導の困難をたくさんかかえる結果となっている。
 親から、選択は自由でも、学校生活は自由ではないとのことが出ている。
保護者とトラブルになると、管理職は教員を守ろうとはしないので、教員個人が弁護士に依頼したり、トラブル用の保険に加入する教職員が増えている。また、業績評価がつきまとうので、困難をかかえている子どもを担任することを避ける傾向が出ている。
 月平均50時間以上の超過勤務の教師が全体の4分の3以上となっていて、教職員の疲れは相当のものとなっている。競争と管理強化のなかで教職員がばらばらにされ、管理職のパワハラや、父母からの突き上げで、自己肯定感や教師としての「誇り」を失い、精神疾患で休職する教師や定年前で退職する教師が増えている。
 ふるい落とされた子どもたちは、成績が悪いのは自分のせいだと自分を責め、もう、放っておいてというほどに絶望している。
 社会には経済格差が生まれ、子どもとかかわる大人たちは、長時間労働や無理な働き方を強いられている。生活に困窮する親は、子どもをありのままで抱える余裕がなくなった。そして、富裕層の親も、子どもと受容的な関係を築きにくくなっている。弱肉強食の社会を勝ち上がってきた親たちの多くは、情緒的なつながりよりも物質的なものに重きをおく。競争によって利益を奪いあうことを是とする新自由主義社会で成功した親たちは、無償の愛を「与える」子育てに喪失感を覚え、暗黙のうちに、「何かを与えてくれる者」となるよう子どもに要求し、勝ち組になるよう迫る。そこでは、子どもの欲求など、おかまいなしだ。
 いやはや、このままの教育が続いたら、一体日本はどうなるんでしょうか。
 もっとゆったり、のんびり、子どもたちが育つような社会環境にすべきですよね。それには老人パワーが必要なんじゃないでしょうか。孫の成長に目を細めてばかりいるのではなくて、孫の通う学校が伸び伸びしたものに変えていくために行動する責務があるのではありませんか。いい本でした。目の覚める思いがしました。
(2009年2月刊。3600円+税)

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