弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年2月11日

本土決戦の虚像と実像

日本史

著者  日吉台地下壕保存の会 、 出版   高文研

 第二次世界大戦の末期、当時の日本軍最高指導部は本気で本土決戦を考えていたのですね。信じられませんが、そのことがよく分かる本です。
 館山や九十九里浜にアメリカ軍が上陸することを予測し、多くの特攻基地をふくむ地下壕群が築造されていった。また、長野県松代に大本営を移転すべく地下壕を本格的に築造していった。本土決戦は、決して机上の計画にとどまったものではなく、幻の計画ではなかった。
 当初の本土決戦は、航空攻撃と海岸線の砲台・陣地によってアメリカ軍に上陸以前に大損害を与え、上陸してきたアメリカ軍は内陸部の陣地でくいとめ、アメリカ軍の消耗を待って「決戦兵団」が攻勢に出て、アメリカ軍を一挙に撃滅する作戦であった。
 うへーっっ、なんだか成功しそうで、実はまったくナンセンスな計画ですよねだって、そのころには既に航空機も海岸線の砲台も、そして内陸部の決戦兵団なんて、現実にはどこにもなかったのですよ。
 本土決戦の準備として大本営を移転させること、風船爆弾によってアメリカ本土を攻撃しようという計画がすすめられた。
風船爆弾には、当初、生物兵器をつかう計画だったようです。それによってアメリカの家畜を壊滅させて、社会を大混乱させようというのです。しかし、それをしたときのアメリカ側の反撃が怖くて止めて、爆弾が積まれました。風船爆弾9300発が発射され、アメリカ大陸に1000発は到達した。着弾地が確認されたのが361発で、死者6人という「成果」をあげて終わった。
本土決戦のため、参謀本部は150万人を招集し、一般師団40、混成旅団2つをつくりだす計画だった。
 大本営は、第一線部隊には後退を許さず、玉砕を強要しながらも、最後まで松代大本営工事を督励し、大本営(総司令部)のみは後退し、自己を温存することを図った。玉砕の強要と自己保存である。
 松代大本営は、総延長10キロをこえる3つの地下壕群が今も残っている。つくった労働者は、ほとんどが朝鮮人であった。6~7000人が働いていた。ここには天皇の御座所もつくられた。この工事は鹿島組が請け負い、180人の朝鮮人労働者が働いた。結局、日本の国土が荒廃し、多くの日本人が死んでも天皇制だけは存続させようということだったのですね。いやになってしまいます。
(2011年8月刊。1500円+税)

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