弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年1月14日

織田信長のマネー改革

日本史(戦国)

著者  武田知弘 、 出版  ソフトバンク新書 

織田信長のやったことを経済学的に解釈していて、なるほど、そういうことだったのかと感嘆させられました。
織田信長は石山本願寺と戦っているとき、鉄甲船をくり出した。新兵器だった。鉄は、当時、貴重品だった。その貴重品を船の全面に貼りつけたのだから、費用は莫大だった。そんなお金を信長は、どこで手に入れていたのか。
信長公は、金、銀、米、銭に不足することがなかった。
寺、城、港が信長を富貴にした。信長は多くの寺社の利権を奪った。
信長は4回も居城を変えたが、そのたびに富貴になった。なぜか?
信長の城は、敵に対しての牽制でもあり、領民に対して威圧と安心を与えるものだった。逆にいうと、安土城は、巨大な税務署でもあった。
信長は、かなり細かい検地を実施した。信長の城つくりは、すなわち街づくりでもあった。街が発展すると、信長にとって戦略物資を調達しやすくなる。そして、市をたてさせ、地子銭はとらないけれど冥加金はとって、収入を増やしていた。
 信長は港を欲した。港によって莫大な関税収入が保障された。
 信長は、中央政権として、日本史上初めて通貨として金銀の使用を促し、金銀と銅銭の価値比率を制定し、体系化した通貨制度をつくった。また、物を量る単位として、「枡」を統一させた。
 信長は道路網整備のために大がかりな掘削工事も行っている。両端には側溝があり、土手もある本格的な道路である。
信長の時代には、人々は安全に、夏は夜間でも安全に旅ができた。
信長は、庶民には減税し、金をもっているものから果敢に税金をとろうとした。それが楽市楽座であり、地子銭の免除、比叡山焼き打ちなのである。
なるほど、なるほど、と思いながら車内で一気に読み終えました。

(2011年7月刊。730円+税)

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