弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2012年1月 4日

検証・チリ鉱山の69日、33人の生還

アメリカ

著者  名波 正晴 、 出版   平凡社

 2010年8月5日、チリ鉱山の落盤事故によって坑底に閉じ込められた33人の鉱夫が
17日後、その全員の生還が確認され、69日後の10月13日に全員が地中から救出された。
 この感動的な出来事は忘れることができません。この事故の関係で読んだ本の3冊目になります。
 世界一の生産量を誇る銅鉱山分野で、政府とコデルコは一糸乱れぬタッグを組んだ。劇場さながらの舞台で涙の再開を実現し、これを全世界に生中継するという巨額を投じた演出が仕組まれた。
 鉱山では何が起きるか分からない。ヤマは生き物だ。
 33人で飛び込んだ地下700メートルの避難所の周辺は不衛生なサウナのようだった。しかし、空気は循環し、坑道には空気が流れていた。避難所周辺では2,6キロほど自由に身動きがとれた。ただし、ケータイ電話の電波は圏外だった。
意思決定は33人の総意で決める。33人は誰もが対等な発言力をもった。絶対的なリーダーはいなかった。
幸いにも33人の多くが太っていた。体脂肪を分解させることで、3週間程度の生存は可能とみられていた。
誰も独りにさせてはいけない。坑道に独りで向かう者がいたら、数人が同行した。自ら命を絶つことがないように。自殺者を出すことは、「生き抜く」という共通の目的をもった共同体の帰属意識を揺るがし、組織が互解する。共同体が崩壊し、後に続く者も出るだろう。一人だけの死ですむはずがない。
 このころ、チリのビニエラ大統領は政治的な行き詰まりを打開する策を手探りしていた。ビニエラ大統領は、政治的な得点を上げられないなかで、サンホセ鉱山の落盤事故への対応を迫られた。ビニエラ大統領は勝負に出た。鉱山の所有企業から管理権を剥奪し、政府の支配下に置いて国が矢面に立つことを選択した。なによりビニエラ大統領をサンホセ鉱山に向かわせたのは、大統領の有権者との連帯感の薄さ、自身の政治資産の乏しさだった。33人の生存が確認された8月22日以降は、チリ政府が表舞台に立ち、鉱山国家の威信をかけた救出作戦の準備と助走が始まった。
 要点は、救出計画の立案と技術的な調整、それに33人の心身の健康管理だ。失敗は許されない。昼夜の区別をつけるよう、発光ダイオード(LED)の照明装置が地下に送り届けられた。間違った希望を与えるな。救出時期についての楽観的な見通しは禁句となった。救出時期は一度たりとも先延ばしされることなく、常に前倒しされていった。
33人を3つのグループに分けて、8時間ごとの労働を割りふった。ビニエラ大統領は、異なった技術を用いて、複数の救出戦略を立案するよう注文した。常にバックアップを用意せよということ、最終的に3つの縦穴を掘ることが決まった。完成まで3~4ヶ月かかる。
 政府は当初から相当なサバを読んでいた。水増しして日程に余裕を持たせていた。これは救出日程が遅れた場合に備えた保険だった。
救出用カプセルは引き上げる過程で左右に揺れて10回以上は回転する。めまいや血圧上昇を防ぐため、救出の6時間前から食事は流動食に切り替え、ビタミン剤が投与された。33人は連日20分以上のエアロビクスで体調を整えるよう指示された。
 カプセルで救出された作業員がテレビの前で体調不良を訴え吐しゃ物にまみれてしまうのではないかと当局は本気で心配していた。それでは生中継のショーが台なしになるからなのです。
 結局、救出費用は総額16億円(2000万ドル)作業員一人あたり60万ドルかかった。
 政府、とりわけビニエラ大統領の大きな政治宣伝につかわれたというわけです。それでも、33人が無事に救出されて本当に良かったと思います。地上に出てから、今も大変な思いをしている人が少なくないようですね。元気に過ごしてほしいものです。
(2011年8月刊。1900円+税)

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