弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年7月28日

プラハ侵略1968

ヨーロッパ

著者    ジョセフ・クーデルカ  、 出版   平凡社

 ずっしり重たい大判の写真集です。300頁近くの歴史的場面が3800円で手にとって眺め、当時の状況を画像でしのぶことが出来るのですから、安いものです。
 1968年8月は、私が大学2年生のときです。親しくしていた下級生が、私に向かって先輩はソ連のチェコ侵入を認めるのですかと非難めいた口調で糾しました。私がそのころ左翼的言辞を弄していたことから、それでもやっぱりソ連を擁護するのかと問いかけたわけです。一世代前の左翼とは違って、私の周囲にソ連を絶対視するような学生はまったくいませんでした。私は、ソ連の行動を支持するわけではないと答えました。ただ、チェコ国内で一体、何が起きているのか、それこそアメリカCIAの策動でクーデター的に何か起きているのかもしれないという一抹の不安は感じていました。あとになって、そうではなく、あくまでチェコ国民の民主化に願う動きだと知りましたが、当時は何も分かりませんでしたので、ソ連のやることはひどいけれど、チェコの方もどうなってんだ・・・、という心配があったのです。
 この写真集は、1968年8月21日からの1週間、主としてプラハ市内の様子をとらえた写真からなっています。本当に緊迫した街の様子がひしひしと伝わってきます。日本で言えば首都・東京にアメリカ軍が戦車をともなった兵隊が進駐してきて支配するという事態が続いたわけです。チェコの人々はじっと我慢して、ソ連をはじめとする各国軍40万の兵士が退去するのを静かに待ったのです。偉いですね。
 死者100人、重軽傷者900人で済んだのは、今からいうと不幸中の幸いでした。いかにチェコの国民がじっと冷静に対応したかが分かります。なにしろ、ソ連軍の進駐に呼応する予定のチェコ人幹部がきちんと名乗り出ることができず、ずっと裏切り者扱いされたままで権力を握れなかったのです。
暴力回避がずっとアピールされました。そして人々は、路上にいる武装兵士を無視し、言葉を交わさずに広場を清掃しました。さらには、街路名、施設や役所の看板や標識をペンキで塗りつぶしました。よそから来た人間がプラハのどこにいるか分からないようにしたのです。すごい知恵ですね。その写真もあります。
 大きな広場で戦車が立ち往生し、市民がぎっしり取り囲んでいます。これじゃあ、とても武力制圧したとは言えないでしょう。人の波にロシア兵が埋もれてしまっているのですから・・・。そして、ときに戦車が火に包まれてしまいます。それでも、市民は誰も武器を持っていないのです。武器を手にしているのはソ連軍兵士だけ。
素手のまま、ソ連軍戦車の前に立ちふさがるチェコ青年の写真があります。ジャンパーを広げて胸を出し、銃をかまえる兵士に、射てるものなら射ってみろと抗議の声をあげて叫ぶ青年もいます。
 人々は広場から消え、また現れて座り込みを始めます。大群衆が座り込みをしたら、進駐軍の兵士は手も足も出ません。
 『プラハの春』(春江一也。集英社)を読んだときの震える感動を思い出しました。
(2011年4月刊。3800円+税)

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