弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年5月30日

視覚はよみがえる

著者    スーザン・バリー 、 出版   筑摩選書

人間は三次元で思考する。48歳にして立体視力を奇跡的に取り戻した神経生物学者が、見えることの神秘、脳と視覚の真実に迫る。
これは本のオビに書かれているフレーズです。脳って固定的なものではないのですね。これがダメなら、あれでいこう。あれがダメなときには、とりあえず、こうやって対応しておこう。こんな具合に融通無碍に対応できる、とても可望性に富んだ器官なんです。
宇宙飛行士が地球に戻ってきたとき、しばらくはヘマばかりしてしまう。なぜか・・・?
大気圏外の自由落下状態にいると、内耳の感覚器官である前庭器官が正常に働かなくなる。宇宙飛行士は、帰還して3日目にようやく正常に戻ることが出来た。むむむ、うへーっ・・・。
人間の赤ちゃんは、生後四ヶ月までは、立体的に物を見ていない。目を内側に寄せる能力、ふたつの像を融合させる能力、立体的な奥行きを認識する能力の三つは、ほぼ同時期に発達する。視力(視精度)が良好なことと視覚が良好なことは、同じではない。文章を読むには、1.0の視力以外のものが必要だ。文字の羅列から意味を読みとれなくてはならない。
ほとんどの人は、文章を読むときに必ずしもページの同じ場所に二つの目を向けてはいない。読む時間の50%は、左目が見る文字のひとつが、ふたつ右の文字を右目が見ている。読み手にとって、この状態は問題を生じない。というのも脳がふたつ目の像を一つに融合しているからだ。情報は協調のとれた形で結合されている。ふむふむ、さてさて・・・。
世界をなんらかの形で細かく知覚しようと思ったら、同時に身体を動かさなくてはいけない。それどころか、体の動きを計画する行動は、おおむね無意識に行われるが、この計画行為こそが目や耳や指の感覚を研ぎすませている可能性がある。知覚と体の動きは、双方向的。絶え間ない会話によって密接に結びついている。
人間の脳のなかには、未開発の配線が数多くあり、その配線は、たとえば新しい技術を身につけるとか、脳卒中から回復するとかいった状態によって活動せざるをえなくなるまで、いつまでも未開発でありつづける。損傷から回復したり、新しい技術を学んだり、知覚を同上させたり、さらには新たな主観的な感覚を身につけたりするために、脳は一生のあいだ配線を変えつづける。
著者は、幼いころ内斜視を発症し、その後、3回の外科手術によって目の位置はそろったものの、二つの目で同時に物を見ること、すなわち両眼視がうまく出来ないまま成人しました。そして、40代の半ばを過ぎて視能療法を受けて思いがけずに立体視ができるようになったのでした。そのことへ驚きと喜びと戸惑いの入りまじった強烈な感情がこの本にしるされています。
視覚障害者とは、単に目の見えない人ではなく、むしろ視覚なしで世界で対処できる脳と技術を発達させた人なのである。このように書かれていますが、この本を読むと、それが納得させられます。
(2010年12月刊。1600円+税)

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