弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2011年5月 3日

廃墟となった戦国名城

日本史(戦国)

著者  澤宮 優、  出版  河出書房新社 
 
 この本に登場するお城のなかで私が行ったことのあるお城を先に挙げてみます。
 安土城、大阪城、肥前名護屋城、上田城そして原城です。
 安土城には2度行きました。安土城の大手道は広くて一直線に山をのぼっていきます。両側に秀吉邸跡そして前田利家邸跡があります(いずれも「伝」となっていますので、確定したものではないようです)。そして、天守閣のあとの礎石が残っています。
五層七階、地下1階、地上6階。壁の色は、下部が黒、上部が白。上部3層は金や朱の色で飾られていた。この天主台跡地に立つと、信長が天下を見下ろしていた気分をいくらか偲ぶことが出来ます。安土城の石垣をつくったのは石工集団の穴太(あのう)衆だとされていますが、この本は、それを否定しています。
むしろ、信長は寺院建設に生かされてきた石垣をつくる技術者たちを寺院から解放し、再編して安土城の石垣造りに生かした。
 肥前名護屋城は、玄界灘に面した高台に今も廃墟が残っています。すぐそばに立派な博物館があって、住時を偲ぶことが出来ます。秀吉は16万の兵を朝鮮に渡らせた。名護屋城には徳川家康ら11万、京都に警護として秀次ら10万の兵が置かれた。総勢37万の挙国態勢だった。
 この出兵は朝鮮半島を植民地として支配するのではなく、明(中国)征服のために朝鮮半島全滅に道筋を確保することにあった。実に途方もない発想です。いくらなんでも、誇大妄想としか言いようがありませんね。独裁者の思い込みというのは、いつの世も恐ろしいものです。今も昔も何もない名護屋城がこのときばかりは20万人の大都市に変貌したというのです。
 島原の乱の激戦地である原城跡に行ったのは、つい最近のことです。現地に着いてみると、海に面した丘陵地帯で、ほとんどが農地になっています。土産品店も何もありません。立て籠もった兵力は2万3千人。女性と子どもも1万4千人いた。命令系統をきちんとして、住居グループごとにまとまった小屋を建てた。信仰を基盤とした結束が生かされた。戦後、徹底的に破壊されたわけですが、それでも地下を掘ると、今でも当時の人骨が出てくるそうです。幕府軍は3万7千人を皆殺しにしており、一人も(1人の画師を除いて)助かった人はいません。
日本には、まだまだ行ってみたい廃城があることを知ります。小田原城も高天神城もいってみたいものです。
(2010年12月刊。1700円+税)

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