弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年11月29日

倭王の軍団

日本史(古代史)

 著者 西川 寿勝・田中 晋作 、 出版 新泉社
 
 巨大古墳時代の軍事と外交というサブタイトルのついた本です。古墳から出土した、たくさんの武器・武具の写真があります。なるほど、軍団がいて不思議ではないと思わせます。『古事記』『日本書紀』に登場する応神天皇と仁徳天皇については、実は同一人物の伝説とする見方があり、実は両人とも存在していないという有力学説もある。中国の史書に登場する倭の五王についても、讃と珍については、どの天皇とも決めがたいままだし、この五王の陵墓も定まっていない。
 うへーっ、日本の古代って、まだ分からないことだらけ、なのですね・・・・。
 古代日本の軍団については、史料がないため、その実態はほとんど判明していない。石母田正は、律令初期の軍政について、その大きな特徴は伴造軍(ばんぞうぐん)から脱却し、国造軍(こくぞうぐん)としたことにあると強調した。国造軍とは、国司を頂点とする国単位の行政組織に徴兵・編成・運用までの権限が与えられていたこと。伴造軍とは、有力な豪族の私軍のこと。
 遣隋返使は、日本に軍団なしと報告した。
壬申の乱(672年)は、皇族や畿内の有力豪族を二分する政争であったが、その勝敗は国造軍の動向によって決まった。
律令期の軍団の特質は、兵員の入れ替えや補填のシステムを完成させたところにある。国造が戸籍を管理し、平時に役務と訓練をおこない、有事になると必要数に応じた兵士を送り出す組織をつくっていた。
軍団の主力武器は打刀(うちがたな)だったと復元されている。打刀とは、刀を下にして腰に佩帯(はいたい)する大刀(だいとう)で、古墳時代は直刀(ちょくとう)、中世以降は刃反(はぞ)りがつく湾刀(わんとう)だった。反(そ)りのない直刀や剣は衝撃を吸収できない。手をしびれさせず、そぐように斬るには高い習練が必要だった。
しかし、著者は打刀は主力兵器にならないという考えです。
鉄砲の普及以来の主力兵器は、古代にさかのぼっても刀剣ではなく弓矢であり、矢合戦が戦闘の普遍的な姿だった。
疾走する騎馬による投射戦が発達しなかったのは、馬の頭が邪魔になって、正面を狙えないから。下を短く、上を長く傾けずに持つ日本の長弓を馬上で構えたとき、馬の頭をはさんで反対側は常に死角となる。そこで、馬を静止させた騎射では、馬を横向きにして敵と対峙する。
 巨大古墳時代においても、戦争は弓矢による戦いが主流だったと考えるべきである。
 日本列島には、当時の朝鮮半島と違って、堅牢な防禦施設をもった城塞がみられないという特徴がある。
巨大古墳の発掘を宮内庁が許さないというのは本当におかしなことです。一般人の立入はともかくとして学術調査は認めるべきです。古代日本に騎馬民族が中国そして朝鮮半島から渡ってきたのではないかという指摘がかつてありました。それを知って、私など、胸がワクワクしたものです。ロマンを感じました。
もっともっと古代日本のことを知りたくなる本です。
 
(2009年2月刊。1600円+税)

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