弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年6月29日

光州・五月の記憶

朝鮮(韓国)

著者 林 洛平 、社会評論社 出版

 今から30年前、1980年5月、韓国で光州事件と呼ばれる民衆決起と戒厳軍による虐殺事件が起きました。その実相を追及し紹介する貴重な本です。
 この事件は、初めのうちは「戒厳令下に不純分子が起こした暴動」つまり事態とされていました。しかし、1988年、軍人出身の盧泰愚(ノテウ)大統領は「光州で起きたことは民主化のための努力であった」と認めるに至り、光州民主化運動と呼ばれるようになりました。さらに、1990年に光州補償法が制定され、犠牲者への補償金の支払いが始まり、1993年には金泳三大統領が「光州での流血は、民主主義の礎であり、現在の政府はその延長線上に立つ民主政府である」という談話を発表しました。
 1995年、「光州民主化運動等に関する特別法」によって、全斗煥や盧泰愚という元大統領12・12クーデターと光州虐殺関連者での処罰の道が開かれました。
 この運動の中で市民軍のスポークスマンとして活躍し、銃弾に倒れた伊祥源(サンウォン)の生きざまを語った本です。
 一般市民そして市民軍の人々も、最後にはアメリカ軍が助けに駆けつけてくれるだろうと期待していたようです。無慈悲な虐殺蛮行の軍部とアメリカが手を握ることなんてありえないと市民は固く信じていました。ところが、アメリカは、市民の期待に反して戒厳軍を支持し、何らの動きも示しませんでした。
 戒厳軍を前にして、武器を捨てるのか、武器を捨てずに対等な交渉に持ち込むのかで市民内部の意見が割れました。伊祥源(サンウォン)たちは、武器を捨てずに戒厳軍圧倒的な武力の差の前に銃弾に倒れるわけです。
 では、早々に武器を捨てるべきだったのか・・・・。難しいところだと思いました。もっとも、勇気のない私などは武器を持って道庁内に立て籠もるという選択は出来なかったと思います・・・・。
 光州事件のとき、道庁内で死亡したのは20人。全体では606人。政府発表による死傷者数は3586人となっています。
 大変な事態であったことはいうまでもありません。韓国でも日本でも、この事件を決して風化させてはいけないと思ったことでした。

(2010年4月刊。2700円+税)

 土曜日の午後、福岡で韓国映画『クロッシング』を見てきました。北朝鮮の人々の置かれている厳しい現実がよく描かれていると思いました。涙の止まらない悲しい話です。決して反共映画ではありません。飢えている人々がいて、ヤミ市場があり、各種の強制収容所があるなかでも、人々は家族愛を育み、仲間同士で助け合っていることもよく伝わって来ました。
 5分前に映画館に着いたら、もう満席でした。一番前で補助椅子に座っての観賞でしたから、画面が歪んで見えるのですが、映画が進行するなかで、そんな歪みはまるで気にならず没入して見入りました。
 KBCシネマで上映中です。ぜひ足を運んでご覧ください。

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