弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年4月23日

ある明治女性の世界一周日記

日本史(明治)

著者 野村 みち、 出版 神奈川新聞社

 すごいです。明治41年(1908年)というと、亡くなった父が生まれた年より1年前のことです。日露戦争のあとで、まだ日英同盟も生きていたようです。
 その年(1908年)3月、東京・大阪の両朝日新聞社の主催する世界一周旅行に、56人の日本人団体客が出かけました。そのうち女性は3人。その一人が32歳の主婦であった著者でした。
 日本を船で出航して、ハワイ、アメリカ、そして大西洋を渡ってイギリス、さらにフランス、イタリア、ドイツ、ロシア、最後に中国東北部を船と汽車をつかって100日ほどで駆け巡ったのです。著者は、その年のうちに「世界一周日記」として出版したのでした。
 主婦と言っても、横浜で外国人相手の古美術店「サムライ商会」を夫とともに営んでいましたし、英語を話せたのです。この本は、現代語に訳されていて、とても読みやすくなっています。日本人女性の勇敢さと行動力には、ほとほと感心します。
 幼い子供たちをかかえた母親として、世界周遊に出かけたい気持ちをかかえて迷っていたとき、実家の母は「行って来なさい。あとは全部引き受けるから」と言って励まし、送り出してくれたと言うのです。偉い母親ですね。
 そして、著者は、旅行中ずっと和装で通したのでした。そして、またそれが結果的に良かったのです。見なれない服装を見て、欧米人は感嘆したのでした。
 このころ、ハワイには日本人が7万人もいた。うち2万人はサトウキビ栽培に従事していた。
 アメリカは大変深刻な不景気だった。モルモン教の本拠地であるソルトレイク市にも行っています。そこで、おはぎや鮨を在米日本人からもらったと言うのですから驚きます。
 シカゴで劇を見て、ナイアガラの滝を見学したあと、ワシントンに入り、ホワイトハウスに出向いて、ときのルーズベルト大統領と面会して握手までしています。それほどの珍客だったのですね。驚きました。
 そのあと、ニューヨークを経て、イギリスにわたります。
 今回の旅行で、日本人は共同一致の精神に乏しく、団結力も弱く、公共を重視しないことを深く感じた。
 ええーっ、後半はともかくとして、前半の評価は逆じゃないのかしらんと思いました。
 イギリスでは、ちょうど、婦人参政権運動が盛り上がっているときでした。
 フランス、イタリア、スイス、ドイツと巡って、ロシアにたどりつきます。
この旅行は、イギリスの旅行会社トマス・クック社の企画したもので、団体旅行・パック旅行として世界初のものでした。旅行費用は1人2340円。当時、民間企業の大卒初任給が35~40円だったので、その5年分にあたる。
 このように、若いときに世界を知っていただけに、著者は、1941年に太平洋戦争がはじまったとき、「アメリカのような国土の広い、資源豊富な国を相手にしても勝てるわけがない」と家族に小さな声で言っていたそうです。当然ですよね。今読んでも面白い本です。
 先日の新聞に、アメリカのハーバード大学に留学している日本人学生が1人しかいないという記事がありました。いま、老壮年はしきりに海外旅行に出かけていますが、むしろ若者ほど国内志向が強く、海外へ目が向いていないと言います。さびしい限りです。
 若者は書を捨てて(本当は捨ててほしくはありませんが……)海外へ旅に出かけよう。若い時こそ、何でも見てやろうの精神が大切です。
 
(2009年10月刊。1400円+税)

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