弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2010年2月23日

チェチェン

世界(ロシア)

著者 オスネ・セイエルスタッド、 出版 白水社

 ロシアでチェチェン人というと、いかにもテロリスト集団というイメージです。
 1989年のチェチェン人は人口100万人。戦争が始まって5年間に10万人のチェチェン人が殺された。
 1991年12月にソ連が崩壊したとき、チェチェンは自治共和国としてロシアからの離脱が認められなかった。ドゥダーエフ大統領はかつてソ連軍でただ一人のチェチェン人の将校だった。ところがエリツィンとドゥダーエフは憎い敵同士となった。
 ロシアからの財政支援が大きく削減されたため、チェチェン国内には混沌と腐敗がはびこった。チェチェンの犯罪者集団はモスクワ銀行を襲撃し、10億ドルを強奪してチェチェンに持ち去った。チェチェンの首都であるグローズヌイは、密輸・詐欺・マネーロンダリングのセンターとなり、共和国における政府の権威は失墜していった。
 ドゥダーエフはモスクワに衛星電話をかけていたところ、その信号をキャッチされ、対地ミサイルによって襲撃・暗殺された。ロシア政府が殺したわけです。
 やがて紛争はチェチェン化した。粛清する側もされる側も、ともにチェチェン人なのである。ただし、チェチェンで誰が権力を握るのかを決めるのは、クレムリンだ。クレムリンの忠実な僕(しもべ)たちが暗躍している。白昼堂々、活動することもある。
 2002年10月、モスクワの劇場で、覆面姿の男女40人がステージに飛び乗り、天井に向けて実弾を打った。この犯人グループに共通していたのは、全員が戦争で身内を亡くしていたこと。16歳の少女も2人いた。劇場には観客として800人がいた。3日目の明け方、ロシア軍がテロリスト制圧のためガスを噴射した。占拠犯は全員殺されたが、200人の人質も、銃撃戦に巻き込まれて死んだ。まさしく凄惨なテロでしたね。
 チェチェンのカディロフ大統領は、スタジアムの自分の席で爆殺された。そのスタジアムは、式典のためにつくられたもので、治安部隊が人員と資材のすべてを監視し、エックス線検査もしていた。爆発物は、当日、カディロフが座るはずの席にコンクリートづけされていた。それが出来るのは、防犯手続きを迂回できる人間だけ。つまり、権力当局が容認しなければありえない爆破だった。
 ロシアでは、毎年、人種的な動機による襲撃が5万件も発生している。しかし、襲撃された側が通報するケースは少ない。警察が、被害者より襲った側に同情することがよくあるからだ。記録に残るのは、毎年わずか300件ほどで、人種的動機による殺人事件は50件。加害者はめったに起訴されないし、有罪判決が出るのはもっとまれだ。襲撃の大半は若い男性による。外国人嫌悪に関連する事件の2分の1は、被告が18歳未満のため密室審理となっている。
 コーカサス出身者は全体としてそうなのだが、とりわけチェチェン人は一般のロシア人の憎悪と軽蔑の対象にされている。チェチェン人は、ロシアの年に住民登録したり、子どもを学校に入れたり、仕事を見つけたり、住居を探すのが難しい。
 チェチェン紛争の現地に入りこんでの報告です。まさに憎悪の果てしない連鎖がそこにあります。ぞっとする事態です。チェチェンとロシアの正常化を願うばかりです。
 
(2009年9月刊。2800円+税)

  • URL

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー