弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年10月 3日

北の反戦地主、川瀬氾二の生涯

社会

著者 布施 祐仁、 出版 高文研

 矢臼別演習場のど真ん中で生ききった反戦地主の等身大の実像を素直なタッチで紹介しています。
 矢臼別演習場の広さはなにしろJR環状線内の大阪市街と同じほど。1万7千ヘクタールもある。155ミリ榴弾砲をフル射程で撃てる。陸上自衛隊だけでなく、最近では、沖縄に駐留するアメリカ海兵隊も訓練している。これはイラクのファルージャ掃討戦をやった部隊です。白リン弾を使ったとして国際的に非難されましたが、その白リン弾の射撃訓練も矢臼別でやったようです。
アメリカ海兵隊の輸送は行きは自衛隊機、帰りはチャーターした民間機が使われた。武器、弾薬の輸送は日通が請け負った。警備を担当した北海道警察は900人の警官を動員した。町の公民館や体育館が、その宿舎に使われ、その間、住民は利用できなかった。
 射撃情報警告塔は電光掲示板付きで17億6000万円。食費6億4500万円。宿舎3億6500万円。野外トイレ6200万円。次々に豪華なアメリカ軍事用施設が作られていった。すべて日本政府の負担。つまりは、日本国民の税金によって建てられたもの。ここでも思いやり予算は生きている。
 馬を飼っていた。その馬は演習場の中を自由に駆け回り生きる。馬舎というのはないのです。馬は塩を与えると寄ってくるのだそうです。
 川瀬さんは農民組合の書記長もしたが、実は食えなくて出稼ぎにも行ったし、ストレスから自律神経失調症となった。奥さんとも離婚する寸前までいった。
 そんな川瀬さんが自分のことをこう語った。みんな、俺のことを強い信念を持った立派な人だから、ここまで頑張っていると思って来る。しかし、そういう人間だったら、多分、ここにおれなかった。ここに残ったのは、ここを出て行く勇気がなかったからとしか言いようがない。馬を演習場の中に野放しにするなんていうずぼらなやり方は、いい加減な人間にしか出来ない技だべな。だから、ここにおれたのは、グズで、ぐうたらで、どうしようもない人間だったからだと本当に思っている。オレの意思でここにいたわけではなくて、ここにおらされたんじゃないか。そのときどきいるようにいるようになってたんだ。こうゆうのを運命っていうのかな。
 とても素朴な述懐です。なるほど、そうだったのかもしれないなと思いました。まったく気負いというもののない率直な人柄のにじみ出てくる言葉です。
 でも、それが世の中を少しずつ動かしていったのですね。いい本でした。ありがとうございます。

(2009年6月刊。1600円+税)

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