弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年8月 8日

縄文の豊かさと限界

日本史(古代史)

著者 今村啓爾、出版 山川出版社

 青森市の郊外にある三内丸山(さんないまるやま)遺跡を久しぶりに訪れました。佐賀県にある吉野ヶ里遺跡も行くたびに整備がすすんでいて驚かされますが、ここでもエントランスに大きな建物がたっていて、超近代的装いで迎えてくれました。
 三内丸山遺跡は、縄文時代の前期から中期にかけての遺跡である。500以上の住居址、多くの貯蔵穴、2列に並列する墓壙群、直径2メートルもある巨木による掘立柱の建造物が発掘され、一部は見事に復元されている。
 ここでは、人が居住を開始した縄文前期の中頃に森林が焼き払われた形跡がある。次いで、人間が植林したクリ林となって、クリを主とする食料資源が人々の生活を支えた。
 縄文時代の食用植物で今も続いているのは、クリとヤマイモである。
 縄文時代は南北に長い日本列島で1万年以上も続いた。
 縄文時代には、主として鹿と猪を捕獲するため、陥し穴が広く用いられた。動物は燻製にされ、また、塩漬けにもされていた。
 三内丸山遺跡は、直径1メートルのクリの巨木を3本×2列の配置で6本埋め立てたもので、中央広場に繰り返し立てられた。柱根部のみ残っている。物見台なのか、記念物的な列柱が、屋根があったか意見は分かれている。
 三内丸山遺跡に行ったのは、7月12日(日)のことでした。よく晴れていましたが、まだ梅雨は明けていないこともあって、それほど暑くもなく、ヨシキリと思われる小鳥が盛んに鳴いていました。
 復元された巨大な六本柱の構造物は近くによると、ますます圧倒されてしまいます。この構造物に屋根があったのかという議論には決着がついていないそうですが、私はやはり何らかの屋根はあったと思います。
 それにしても見上げると、いかにも高い、巨大な構造物です。昔の人の力を軽視することは許されません。建造に要した膨大な労働力を考えると、やはり何かの宗教的な意味が込められたものであろう。著者はこのように言っています。
 青森市内から空港へ行く途中にありますので、一度ぜひ立ち寄ってみてください。
(2008年9月刊。800円+税)

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