弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年7月18日

筆に限りなし

社会

著者 加藤 仁、 出版 講談社

 城山三郎伝です。まあ、よく調べてあることだと、ついつい感心しました。
 城山三郎が本を執筆していた書斎が資料館が名古屋にあるそうです(双葉館)。子どもの学習机ほどの小さい執筆机と、その周囲に取材メモや手紙類が散らかっています。城山の蔵書は、段ボール箱にして300個分あったそうです。本は1万2000冊。本や雑誌は、地元の文学ボランティアによって今なお分類・整理がすすめられていて、取材ノートやメモ・手紙なども仕分け作業がすすんでいます。毎日、1人か2人は作業しているのですが、まだまだ完成まで相当の時間がかかりそうだということです。
そして、城山三郎が1冊の本を書き上げるまで、大変入念な取材をしていることがよく分かる本でした。
 城山は家族に対して、チラシ1枚だって棄てないように厳命していた。だから、もう、ゴミ屋敷みたいだったと娘は語る。
 城山は戦前は完全な皇国少年であった。しかし、軍隊に入って、その現実をいやというほど知らされた。そして、戦後になって、戦時中の自分自身の精神生活がすべて否定されたことによる虚脱感に浸った。裏切られた皇国少年は、生きる拠りどころを失い、精神の傷痕と思索の混迷に喘ぎ、自分を失いかけた。
 城山は、戦後、今の一橋大学(当時は東京商科大学)に入った。
 城山は専業作家になる前、愛知学芸大学で経済論を教えていた。
 そして、『総会屋錦城』で世に出た。これは、異端の経済小説である。
 城山作品すべてに共通するのは、必ず自分の足で歩いて丹念に調べ執筆していること。調べるという学者の職能を大いに発揮して、インプットが多いほどアウトプットも多いと素朴に信じ、行動した。フットワークありきの小説執筆を皮肉って、城山のことを足軽作家と呼んだ文芸評論家がいた。
 城山は、資料収集から取材・執筆まで、スタッフを使うことなく、なにもかも一人でやってのけるのを原則とした。そのために投じる労力は計り知れず、流行作家のようには原稿の量産がきかない。城山三郎には才能があった。その才能とは、ケタはずれの努力をすることである。
 私が城山三郎の本として読んで記憶に残っているのは、『毎日が日曜日』『素直な戦士たち』などです。企業の内幕ものとして、高杉良の先輩作家というイメージがあります。
 
(2009年3月刊。1800円+税)

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