弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年6月21日

ひょうたん

日本史(江戸)

著者 宇江佐 真理、 出版 光文社時代小説文庫

 うまいですね。この人の本って、いつ読んでも感心させられます。しっとりした江戸の人情話に、敵味方で争うなかでガチガチになった身と心が、知らず識らずのうちに溶け出していく思いです。そして、下町で夕食を準備する匂いが漂ってきます。
 いえ、本当に、書き出しから店の前に七厘(しちりん)を出して大根を煮る風景が登場してくるのです。米の研ぎ汁で下茹でした大根を、昆布だしでさらに煮る。箸を刺して煮崩れるほど柔らかくなったら、さっと醤油と味醂で味をととのえる。それを昨夜からつくっておいた柚子味噌につけて食べる。うむむ、美味しそうですね。思わず舌舐めずりしてしまいます。
 五間掘沿いの道を行く人々も、いい匂いを漂わせている鍋に恨めしそうな視線を投げて通り過ぎて行く。うまそうな匂いには勝てませんからね……。
 主人公は、しがない古道具屋を営む夫婦。この夫婦をめぐる市井の人々の愛憎つながる話題が転々と展開していくのです。そこには切ったはったの血なまぐさい話はありません。今の日本でもありそうな、身につまされる人情話が繰り返し登場してきて、物語にひきずりこまれてしまうのです。
 そして、その気分に浸ると、それがまた浮世風呂にでもつかったようないい按配なのです。そうやって江戸情緒をしっかり味わっているうちに、やっぱり、いい本に出会えるって仕合せだなと思ってくるわけです。
 あとがきの解説に、次のような文章があります。
 けちな道具屋をしていても、心は錦だ。こんな江戸っ子の矜持(きょうじ)と心意気が表れている。
 そうなんです。気風のよさも感じられますので、読後感はあくまで高山の稜線にある草原を吹き渡る涼風のような爽やかさです。
 
(2009年3月刊。552円+税)

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