弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年5月21日

国策捜査

司法

著者 青木 理、 出版 金曜日

 特捜検察が捜査に乗り出して世を騒がせた事件を「国策捜査」と冷笑的に評することが珍しくなくなってきた。
 今も多くの人は特捜検察に「巨悪摘発」の期待を寄せ、新聞やテレビをはじめとする大手メディアも、その捜査に喝采を浴びせる。その結果、特捜検察による捜査は「絶対正義」かのような装いをまとい、冷静な分析・批判はかき消されがちだ。しかし、その捜査も内実を一皮めくってみれば、実のところ矛盾と不公平が渦を巻いている。
 近年の裁判は、検察捜査をただ追認するだけだ。検察の動きを冷静に分析し報道してチェック機能の一端を果たすべきメディアの惨状は語るまでもない。もともと捜査当局べったりの習性に染まった日本の大手メディアは、特捜検察が動き出すや否や、その尻馬に乗ってターゲットを一方的に糾弾し、ときに狂乱ともいえるような報道を繰り広げ、世論を煽る。
 宗像紀夫氏(元東京地検特捜部長)は、次のように書いている。
 「犯罪捜査は、もちろん人格的に優れた、そして十分な経験を積んだものが行うべき仕事だと思われるが、現実にはそうではない。経験も浅く、人を説得する十分な技術もない者が、ただ相手を怒鳴りつけて力で相手をねじ伏せるというケースも少なくない。参考人を調べるときも、逮捕できるんだと脅して捜査官側の意向にそう供述を求め、体験もしていない、記憶に反する内容の調書が作成されたという報告もしばしば聞かれる。嘆かわしいことだ」
 結局、供述調書というのは捜査側の作った作文である。それを読んでいる限りは非常につじつまが合う、すきのないものになっている。キレイに書いた作文は、素直に頭に入ってくる。
 検察は嘘をつかないが、被告人は嘘をつくと考えるのが、現在の刑事司法である。
 弁護人が取り調べ中に会えるのは、一日に何分間というようなわずかな時間でしかない。そのときに無味乾燥な事件の話しかできない。ところが、検事のほうは朝から晩まで連日、取り調べしてさまざま話をする。外界と遮断された人間は、近くにいる人間にだんだんと情が移っていくものだ。すると、検事の方が自分の良き理解者のように思えてくるようになる。これも取り調べのテクニックの一つなのである。
 日本の刑事司法の問題点を「国策捜査」の被害にあったと訴える有名人の人たちの体験談をもとにしていますので、その真偽はともかくとしても、訴える力があり、共感を呼びます。

 秋田に行ってきました。
 夕方、川反という一番の夜の街を歩きました。よさそうな郷土料理店がないかなと思いながらぐるっと回ったのです。夜が早かったせいもあるのでしょうか、あまり人通りもなく、客引きの男女が目立ちます。
 一件の小料理店の玄関の雰囲気が良かったので、ついふらふらと入りました。テーブルに座って料理を注文すると、なんだか前にきたことのある店のような気がします。メニューに書かれている店の名前に見覚えがあります。美味しい秋田料理をいくつも単品で注文しました。
 ハタハタのすしは絶品でした。そして、ガッコです。こりこりとした歯ごたえがあり、塩味もほどほどで下になじみます。そうです。やっぱりここは、20年以上も前に秋田の弁護士に連れられて入った有名な店でした。ホテルに帰ってガイドブックを見てみると、そこにもちゃんと載っていました。店の名前は「お多福」と言います。偶然の一致でした。 
(2008年5月刊。1500円+税)

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