弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年4月28日

派遣村

社会

著者 年越し派遣村実行委員会、 出版 毎日新聞社

 私もよく行く日比谷公園に年末年始、2000人もの人々が集中して、ごった返していたといいます。今では、そんなことがあったなんて嘘のように何もなく、いかにも静寂な公園です。
 年越し派遣村のなりたち、そして、その実情がいろんな人の体験談を通じて明らかにされています。実行委員会の人々、ボランティアの人々、そして、何より参集してきた村民の人々に対して、心から敬意と連帯の気持ちを改めて私も表したいと思います。
 この本を読むと、日本という国も、まだまだ決して捨てたもんじゃないと思います。と同時に、どうしてここまで深刻な事態に追いやったのか、政治というものの深い責任を痛感します。
 実行委員会が想定した村民の人数は、100人前後だった。だから、用意したテントは5人用テントが21張。ところが、初日だけで登録した村民は139人。とても足りない。
 寝場所の確保は、最終日まで実行委員会の一番の頭痛の種だった。寝床を確保することが、いかに重要で、いかに大変かを改めて思い知った。
 私はテレビを見ませんからよく分かりませんが、テレビでも大きく報道されたようですね。31日の昼のニュースから、派遣村の映像が繰り返し流されたため、正月の深夜になっても入村の希望者が次々にやってきた。30代後半の男性は、埼玉県北部から10時間も歩いて村にたどり着いた。夕方、たまたま大型電器店の前を通りかかってテレビの報道を見て、ここを目ざしたのだった。
 泊まり込みのボランティアは、ほとんど野営状態。ストーブの横で仮眠をとるか、コートを着込んだまま本部テントに寝転がっていた。携帯カイロを背中と腹に貼り付けて本部テントの中で転がり、少しうとうとしているうちに朝を迎えるのだった。
 派遣村では、多くの村民が生活保護を申請することにしたが、みんながすぐにそうしたのではない。むしろ仕事をして自立したいと望んでいた。でも、とりあえずこれしかないでしょ、という働きかけを受けて、ようやく納得していったのだ。
 派遣村には、暴力飯場の手配師までやってきた。30万円の給与という声に乗せられて、山奥の作業場へ連れて行かれると、布団代、毛布代、食事代、家賃と差し引かれていく。日給1万3000円はなくなるどころか、借金までかかえてしまう仕組みになっている。そこから逃げ出すとリンチが待っている。うひゃあ、今どき、そんなタコ部屋があるんですね……。
 派遣村への入村者は、結局500人を超えた。そのうち、生活保護を申請したのが過半数(302人)。ボランティアとして登録した人は1700人ほど。カンパは現金2300万円のほかに振り込みがあって5000万円を超えた。支出は1000万円。
 ボランティアとして活躍した高校生の書いた文に目を見開きました。
 私は派遣村に一つの希望を見出した。それは結束だ。古い労働運動用語で言うなら、連帯だ。
 うへーっ、連帯って、古い労働運動用語なんですか……。実に新鮮な驚きでした。たしかに、ポーランドのワレサ議長の連帯(ソリダリテ)なんて古いことなんでしょうが、それでも連帯って、私にとっては新しくていい響きの言葉なんですけどね……。
 ボランティアの女性が、50代の暴れる村民(男性)をなだめた話も興味深いものがあります。その男性は、名前を訊かれ、名前で呼ばれるようになると、急に態度が変わっておとなしくなってしまったというのです。
 名前で呼ぶという行為は、私はあなたを認めていますよという一番初めのサインなのだ。久しく名前で呼ばれることがなかった彼にとって、それは自分が認められるという、驚きに値する出来事だったのだろう。
 そうなんでしょうね。あたかも人間ではない存在かのように、この日本社会で久しく扱われてきたのが、ここ派遣村では人格ある人間として処遇されたわけですから、彼としてももう暴れまわるわけにはいかなかったのでしょう。
 とてもいい本です。今の日本の現実を知るうえで、必須の本だと思います。毎日新聞社の発行ですが、朝日も読売も大いに取り上げて宣伝し、広く全国民に読んでもらいたいものです。
  
(2009年3月刊。1500円+税)

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