弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年4月10日

アメリカ、自由の物語(上)

アメリカ

著者 エリック・フォーナー、 出版 岩波書店

 昔、ギリシャの哲学者セネカが、次のように喝破したそうです。
 「奴隷でない人間にお目にかかりたいものだ。ある者は性の奴隷であり、またある者はお金の奴隷であり、またある者は野心の奴隷なのだ」
 うむむ、こ、このように決めつけられると、私なんか、ぐうの音も出ません。それでも……。
 18世紀、自由の理念が広まった、イギリス・フランス・オランダという国々は、すべて大西洋奴隷貿易に深く関与していた。イギリス人が非常に大切にした海洋の自由とは、自国の商人が望む、いかなる港にも奴隷を運ぶ権利を含んでいた。
 そこで、「黒人奴隷の監督者から、自由を求める最も声高い要求を聴くとは、いったいどういうことだろうか」という皮肉な指摘もなされていた。いかにして、アメリカ人は、アフリカ人の自由な権利や幸福を追求する権利を奪うことを正当化できるのだろうか、と。
 黒人奴隷制は、必ずしも白人であるアメリカ人の自由の理解とは矛盾しなかった。多くのアメリカ人にとって、奴隷を所有することは、真の自由に不可欠と広くみなされた経済的自立を保障するものだった。1857年、トーニー最高裁長官によれば、黒人は市民ではありえなかった。アメリカ国民は白人に限定された政治的家族集団を構成していると考えられていた。
 アメリカ北部の社会のもっとも顕著な特徴として、自由労働が称賛を受けても、その中にはアフリカ系アメリカ人は含まれなかった。
 1860年、400万人のアフリカ系アメリカ人がアメリカにおいて奴隷として働いていた。
 自由黒人は、西部の開拓を利用して、アメリカの自由にとって不可欠である自らの経済的地位を向上させることもできなかった。連邦法によって黒人は公有地の獲得を禁じられ、インディアナ、イリノイ、アイオワ、オレゴンの4州は、自由黒人が州内に入るのを全面的に禁止した。
 リンカーンは、人種的平等主義者ではなく、当時の社会で広く見られた人権剥奪の多くの事例を容認した。人生のほとんど最後までリンカーンは黒人の選挙権に反対し、折にふれて国外への黒人の植民について語った。
 しかし、南北戦争になって、その後半に連邦軍に20万人の黒人が入隊したことが、黒人市民権の問題は戦後に検討されるべき事項となった。
 奴隷制の廃止は、自由の誕生を自動的には意味しなかった。
 20世紀に入って、何百万人という白人女性が新しく有権者に加えられたが、民主主義を改善するという名目で、何百万人もの人々、つまり黒人・移民・労働者が有権者名簿から削除された。
 今日のアメリカがよく用いる、ダブル・スタンダード(二重基準)というものが、実は昔からのものであることもよく分かる興味深い本でした。
(2008年7月刊。3800円+税)

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