弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2009年4月 2日

生存権

社会

著者 立岩 真也・尾藤 廣喜・岡本 厚、 出版 同成社

 貧困の問題はずっとあったし、拡大している。今、ようやく注目を浴びている。注目されるのはよいことだが、心配なのは、すごく悲惨な部分のみ取り出され、その悲惨こそが問題だと語られ、そう思われること。そんなに悲惨でなくても、生活保護は使えるべき制度だということを忘れてほしくない。
 いま、国民皆保険とは言いながら、国民健康保険証をもっていないという人がかなり多い。介護保険をふくめて、保険料が支払えない人が出てきて、いざというときにその人は受けられないということがある。これでいいのか……。
 政策として、労働政策としてやっていくのか、所得保障政策としてやっていくのか、ふたつある。基本的には、この二つともやるべきではないか。
いまの日本社会には、困難な人たちを見たくない、関心をもちたくないという気分がかなり多くの人にある。見ようと思えば見えるんだけど、目を伏せて脇の方を通っていくというマインドが国民の中にある。
 うむむ、なるほど、そうなんですよね。ビラ配りして訴えている人がいても、そっと素知らぬふりをして避けて通りすぎてしまうことって、私にもあります。この世の矛盾って、見ようと思わないと、まったく見えないものなんですよね。
 生活保護裁判には、これまで4つの波があった。第一の波は朝日訴訟。第二の波は藤木訴訟。第三の波は、ごく普通の人が自分の問題として、生活保護のさまざまな問題点を取り上げて裁判を起こしたこと。いま起きている第四の波は、生存権裁判。そこでは生活保護基準、つまり最低生活の中身をどう考えるか、ということを真正面から問う裁判が起こされている。たとえば、資産の保有がどこまで認められるか争われている。自動車の保有は、今も認められるのは例外的なもの。
高齢者で、年金生活している人が、本来なら生活保護を受けられるはずの人が生活保護を受けていない。そんな人が生活保護の支給額が自分より高いことに怒って、声高に文句を言う現実がある。
 憲法25条は、国民に社会権を認め、国に対して命令した規定である。ところが、プログラム規定であり、具体的な拘束力はないという学説が有力だ。しかし、生活保護法が憲法25条を具体化しているので、拘束力がある。とりわけ、2項の増進義務は、国に対して積極的な施策を求めている点が大きい。これを自民党は地方自治条項を改正することによって骨抜きにしようとしている。
ワーキングプアがなぜ発生するかというと、最低賃金制がきちんとしていないから。そして、これは生活保護費とリンクしている。早く生活保護の利用を認め、生活力を回復させ、雇用に結びつく可能性を保障する。つまり、早めに給付を始め、早めに終了できるようなシステムをつくる必要がある。生活力を形成するための生活保護という視点が今まで少なかった。なるほど、ですね。ヨーロッパでは生活保護を受けるのは日本と違って若者だそうです。老人には十分な年金が支給されるのです。
 普通に働いたら、普通に生活できるというように、最低賃金を上げなければいけない。そうしないと、働く意欲が出てこない。働く能力がないという人たちが、きちんとした生存権を保障されなければ、働く能力のある人たちの生存権もおそらく保障されない。
 今の日本社会には、家族主義・扶養意識が低下している。扶養できない実態があるのに、扶養を求めている。
 私と同世代(正確には一つ年長)の弁護士から贈呈された本です。厚生省(現厚労省)に入って3年間がんばり、今では生活保護問題の第一人者です。この本で展開されている鋭い問題提起にはいたく感銘を受けました。
 
(2009年3月刊。1400円+税)

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