弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年11月25日

カムイ伝講義

江戸時代

著者:田中 優子、 発行:小学館

 『カムイ伝』というと、私が大学1年生のころ、『ガロ』という雑誌に出会って、目を大きく開かされた思いがした思い出のある本です。寮で、いつも一心に読みふけり、その迫力あるマンガに圧倒されっぱなしでした。本(活字)だけでは分からない、江戸時代についてビジュアルなイメージを抱くことができたのです。
 でも、マンガ本が大学で学生向けの教材としていま使われているというのには驚きました。そして、カムイ伝に描かれた状況が、江戸時代の百姓と武士の日常生活をかなり正確に反映していることを改めて知ることができました。やっぱり、すごいマンガだったのですね。
 『カムイ伝』と『カムイ外伝』があります。読んだことのない人には一読をおすすめします。といっても、私自身は、大学生のころに読んだきりで、あれからもう40年たっています。いずれまた読んでみたいとは思いますが……。小学館から『カムイ伝全集』として刊行されているそうです。
 カムイ伝の時代背景は江戸時代の初期。
 江戸時代が戦国時代の価値観から完全に方向転換するのは1640年ごろ。徳川三代将軍家光の時代が終わったのは1651年のこと。武士は兵士ではなくなり、戦争のない時代の文治官僚となった。
 穢多と非人には違いがある。非人は足洗い、足抜きが認められている。非人に定められた職業から離脱することで非人ではなくなり、中心部への移住も可能だった。というのも、非人には犯罪や心中未遂によって非人となった者や、困窮のため乞食となった無宿非人などを含んでいたからである。これに対して、穢多には周辺部に居住地域が決められており、その身分から抜け出せなかった。
 非人には肘より長い着物を着ることが禁止され、着物の色も藍から渋染めに限定されていた。ところが、穢多の一部は絹織物を着ていた。
 非人は町中に暮らし、物乞い、大道芸、犯罪者の市中引き回し、処刑上での増益が主な仕事だった。これに対して、穢多は囲い地や穢多村に暮らし、皮革処理、皮細工、灯心売買の特権を持っていた。非人は田畑を持つことがなかったのに対して、穢多は農地領有高がふつうの百姓以上のこともあった。
穢多は脇差しや十手を持つことができたが、非人は持てなかった。
 穢多は非人の上に立っていた。職業を離れたら平民になれる非人が、身分を離れることのできない穢多より下に置かれ、その下人のように働いていた。
 乞胸頭(ごうむねがしら)・仁太夫は芸人たちを支配していたが、非人頭・車善七に冥加金(みょうがきん)を支払い、非人頭・車善七は浅草弾左衛門に冥加金を支払っていた。
 弾左衛門組織内は治外法権であり、弾左衛門支配の人間による犯罪が起こったとき、町役人や奉行はさばくことが出来ないし、犯罪人を小伝烏町の牢屋に入れることもできなかった。乞胸・仁太夫とその組織は武士が出自であった。
 明治維新のとき、浅草弾左衛門支配下の人は4373人で、非人頭支配は700人、乞胸頭支配は550人だった。
 『カムイ伝』には、江戸時代の百姓のさまざまな事業(たとえば綿作など)がことこまかく具体的に描写されています。しかし、なんといっても圧巻なのは一揆場面です。
『カムイ伝』の一揆の表現は迫力に満ちている。一期の手順に従って、具体的かつ詳細に描かれている。一揆は祭と同根で、古代からの日本の伝統だった。
 江戸時代(1590〜1877年)3710件の一揆が起きている。1年に平均13回。したがって、月1回は全国のどこかで一揆が起きている。一揆は、現代の組合や政治党派とかテロ組織とは異なり、組織体でなく、運動である。
 江戸時代は書類によって左右される法治国家であって、一揆の前には文書で訴えを起こしていた。訴状である。そうなんです。日本人は昔から読み書きできる人が指導者になっていたのです。それは百姓でも同じです。
結局のところ、武士とは一体どういう存在なのかを『カムイ伝』は問い続けている。このように著者は指摘しています。なるほど、と思いました。
 江戸時代の人々の生活などについて、大変勉強になる本です。
 (2008年10月刊。1500円+税)

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