弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年9月16日

一朝の夢

江戸時代

梶 よう子  文藝春秋
 時は風雲急を告げる幕末。しかし、下級武士の中には珍しい朝顔を咲かせるのだけが生き甲斐のような不埒な者もいる。そんな男が、いつのまにか幕末の大政変、桜田門外の変に巻き込まれていく。
 いやあ、見事なものです。こんな小説を私も一度は書いてみたいと思うのですが・・・。江戸時代末期、あの朝顔は多くの人の心をとらえて放しませんでした。今よりもっともっと多くの変種朝顔が世に現れ、人々がそれを愛でていたというのは歴史的な事実です。
 私も朝顔は大好きです。でも、意外に朝顔を育てるのは難しいのです。知っていましたか?
 私の庭には、今も朝顔が咲いています。去年の朝顔です。実は、何年も前からのものなんです。なぜか、色がいつも同じで、青紫なのです。これはわが家のフェンスにからまっている宿根性で、外来種の朝鮮朝顔と同じです。鮮やかな紅色の大輪の朝顔が私の好みなのですが、去年咲いていても今年は咲いてくれません。それじゃあ、と思ってタネを植えても、大きくならないし、ましてや花を咲かせてくれません。チューリップだと、植えたら何もせず放っておいても9分9厘ちゃんと花を咲かせてくれます。朝顔は、よほど気むずかしい花なのでしょう。
 主人公の興三郎は北町奉所勤めの「八丁堀の旦那」である。ただし、吟味方や定町(じょうまち)廻りや隠密廻りなどといった、奉行所でも花形のお役目ではなく、両組御姓名掛りという奉行所員の名簿作成役であった。所内でも閑職の筆頭としてあげられる役だ。
 江戸には南と北の奉行所がある。今月が南町で月番だとすると、北町は非番だ。非番だと言っても休みになるわけではない。月番の時に持ち込まれた山と積まれた訴状や吟味の未決分を処理している。月番奉行所は門を八文字に開き、訴訟や事件などの類を受けつける。非番の奉行所は門を閉ざし、潜り戸はあけているが、訴訟などは受けつけない。
  朝顔の種は、牽牛子といい、下剤や利尿などに用いられる。朝顔の種子は半月型である。弧の部分を背と言い、直線の部分を腹という。片側の端にある小さな窪みはへそと呼ばれている。
 へそを傷つけないように、背と腹の境界に傷を付ける。これを芽切りという。土に指の先端を刺し、つくった穴にへそを上にして種子を入れる。
 江戸時代、朝顔は何度ももてはやされた。朝顔の品評会を花合わせという。植木屋はもちろんのこと、商人・町人・武家といった朝顔愛好家から出品された朝顔の優劣を競う。その結果は番付にして発表される。
 朝顔にはいろんな色がある。しかし、黄色の朝顔だけはない。朝顔は、どんなに美しく咲いても、花は一日で萎れてしまう。つまり、槿花(きんか)、一朝の夢だ。これは一炊の夢と同じ例えである。
 朝顔は自家受粉、つまり自らが自らの花の中で受粉する。だからツボミが開かないようにしても種子はできる。
 江戸の変わり咲き朝顔を紹介する本もあります。江戸時代の人々は、現代の私たちが想像する以上に多種多様な生き様を認め合っていたように思います。ひえーっ、こ、これが朝顔なの・・・。こんな悲鳴ををつい上げたくなるほど、ものすごい変わり咲きの朝顔が毎年出品・展示されていたというのです。それには、人々の心の豊かさがなければ、とてもできないことだと思いますよ、私は。あなたもそう思いませんか・・・。
 すみません、この本のストーリー展開はあえて紹介しません。お許し下さい。 
 南フランスの町のあちこちで、大型犬を連れた若者たちを見かけました。いえ、大型犬を連れたおじさんやおばさんもよく見かけたのですが、若者たちは、なんだかホームレスっていう感じで気になったのです。しかも、一人で二匹も三匹もの大型犬を連れて歩いているのを見ると、犬たちの食糧費だけでもバカにならないだろうと心配しました。アルルでは、3匹の大型犬を連れた物乞い(おじさん)がいました。教会の階段に、犬たちは寝そべって、ヒマをもてあましているように思いました。
(2008年6月刊。1524円+税)

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