弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年8月 6日

夢顔さんによろしく

社会

著者:西木正明、出版社:文春文庫
 最後の貴公子・近衛文隆の生涯というサブ・タイトルのついた上・下2冊の文庫本です。タイトルの意味が分からず、まったく期待もせずに読みはじめたのですが、どうしてどうして、意外や意外、すこぶるつきの面白さでした。途中からは手に汗を握るほどの大活劇の展開となりました。ええーっ、これって本当のことなの・・・と思いながら、後半は頁をくるのがもどかしいほど一気に読みすすめていきました。2000年の柴田練三郎賞を受賞した本だということを読み終わってから知りました。なるほど、なーるほど、と納得した次第です。
 1945年2月14日、近衛文麿は昭和天皇に対して、次のように上奏した(要するに口頭でレクチャーしたということ)。
 敗戦は必至である。米英の主流は日本の国体の変更までは求めていない。敗戦だけなら、国体の護持は可能だろう。むしろ憂慮すべきは、敗戦にともなって起こりうる共産革命である。
 天皇は大いに驚き、その根拠を近衛に問いただした。昭和天皇が共産党と共産革命を恐れていたことについては別の情報もあって裏付けられています。
 終戦後の昭和20年12月16日、近衛文麿は青酸カリをのんで自殺した。54歳だった。そのとき、息子の近衛文隆はシベリアの収容所に抑留されていた。陸軍砲兵中尉であった。身長1メートル79センチ、体重81キロ。
 近衛文麿は一高から東大に入学したが、途中で京大に転じた。社会主義に傾倒し、マルクス主義経済学者である河上肇に師事し、オスカー・ワイルドに夢中になった。
 文隆の愛称をボチという。これは、「ぼくは・・・」と言うべきところを「ボチは・・・」と何度となく言ったことから来ている。
 文隆はニューヨークで勉強するようになり、エイミー・ベルグマンという金持ちの女性と親密な関係になった。ところが、その女性はアメリカ共産党の隠れ党員と交際があった。そこで、文隆は女性と別れさせられた。突然のことである。
 やがて文隆は東京に戻ってくる。そこでドイツの新聞記者ゾルゲと知りあい、親しく交流するようになった。そうなんです。あの有名なソ連スパイのゾルゲです。
 文隆は、父の文麿が首相になったとき、その秘書官として政治の中枢で働いた。ただし、わずか5ヶ月あまりのこと。そのあと、文隆は上海に渡る。そこで美貌の中国人女性ピンルーと深い仲になるのです。それを知って面白くないのが日本の憲兵隊。文隆に警告を発します。強引に別れさせられることになるのです。文隆は日本に戻り、やがて召集令状が来ます。徴兵検査も受けていないのだから、意図的な召集だった。敗戦後、文隆はシベリアに抑留される。
 ゾルゲと尾崎秀実がスパイ罪で絞首刑にされたのは1944年11月7日のこと。しかし、その事実は、戦後の昭和24年2月10日まで秘匿されていた。もちろん、ソ連に抑留されている文隆は何も知らない。
 文隆に対してソ連当局は元首相の息子として利用価値ありと判断し、ソ連のスパイになるようにもちかけた。文隆はそれを断わった。そのころから、文隆の健康は思わしくなくなり、ついには原因不明の病気で亡くなった。
 うむむ、なんだか変ですね・・・。ところで、タイトルの夢顔さんによろしくとは、何でしょうか。ムガンと呼んで、ゾルゲの生地のことだというタネ明かしがされています。ふむふむ、なるほど、そういうことなのでしょうね。
 よく調べてあるうえ、読みものとしてもよく出来ています。感心しながら、ついつい読みふけってしまいました。
(2002年10月刊。629円+税)

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