弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2008年4月 9日

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京」(上下)

社会

著者:楡 周平、出版社:講談社
 今から40年前の1968年に起きた東大闘争とは一体、何だったのか。そのとき活動家だった学生は今、何をしているのかを鋭く問いかけた小説です。当事者の一人でもある私の問題意識にぴったりあう舞台設定なので、大変興味深く、一気に読了しました。東大闘争の経緯については不正確なところが多々ありますが、さすがプロの書き手ですので、ぐいぐい魅きつけていくものがありました。最後まで、次はどういう展開になるのだろうかと、手に汗をにぎりながら読みすすめていきました。
 「当時は、本当に私たちの力でこの国を変えられると思っていた」
 「ああ、あの時代は、本気でそう思っていた」
 「だけど、何も変わりはしなかった。それが、私たちが行った運動は、すべて間違いだったってことの証明ってわけ。当時の仲間たちのほとんどは、あの頃のことなどおくびにも出さずに、安穏とした生活をむさぼっている」
 「プロの活動家なんて、もはや絶滅人種だ。デモに出かける人も、日頃は、思想信条を明らかにせず、一介の公務員として国家体制に寄生して糧(かて)を得ている。どこかの中小企業の労働者として、資本主義社会の恩恵に与っているのがせいぜい。私は、両手に手錠がはめられた時に、初めて目が醒める思いがした。権力に歯向かうことの愚かさ。屈辱と、全てを失うのではないかという恐怖を感じた」
 これは、それから30年後の元活動家同士の会話として語られています。たしかに私も、自分たちが大人になったときには世の中は根本的に変わっていると思いこんでいました。しかし、大きく変わったのは世の中というより、自分たちのほうでした。といっても、当時していたことが「全て間違いだった」などと私が思っているわけではありません。資本主義の片隅で、その恩恵を弁護士として受けていることは否定しませんが・・・。
 先日、高校の同級生だった医師と話していたとき、「あんたは、まだ弱者のためと思って(活動)しているのか?」と問いかけられました。私は、即座に、「そうだよ」と返事しました。弁護士になって35年になります。ずい分、安穏とした生活を過ごしていると自分でも思いますが、学生時代に抱いた理想、つまり弱い人のために役に立つ人間になろうということを主観的には忘れたことはありません(客観的に、どれだけのことができたか、しているかと問われると心苦しいのですが・・・)。
 体制を変えるためのもっとも早い方法は、権力の中に入り込み、その頂点に立つことだ。
 久しぶりにこのような文句に出会いました。そうなんです。学生のころ、よく聞いたセリフなのです。とりわけ、私のいたセツルメントでは、とりわけ法律相談部のセツラーのなかに、そのように言う学生セツラーが何人もいました。セツルメント活動を真面目にやっていた人のなかから、高級官僚や裁判官になった人は何人もいます。そしてセツルメント活動は、このセリフとのあいだの葛藤から成り立っている面があると言うと、いささか言い過ぎになるかもしれませんが、それほど重たく魅力的なセリフでした。だけど、多くの場合、結局のところ、このセリフにかこつけて権力に取りこまれて理想を喪っていくことになりました。もちろん、すべての人にあてはまるということではありませんが・・・。
 あのころ、セクトに属していた女性活動家に課せられた任務は熟知している。一般学生をセクトに誘うために、幾多の男たちと体を重ねた。
 うへーっ、まさかと、私は思いました。そんなセクトがあるなんて、当時、少なくとも私は聞いたことがありません。私の交際範囲の狭さからかもしれませんが・・・。もっとも、私の交友関係の大半を占めていた民青は、歌って踊って恋をしてという路線をとっていると批判されていましたし、私自身も女子学生が半数ほどを占めるセツルメントにいましたが、そんな「任務」なんて聞いたことはありませんし、あろうはずもないと私は考えています。
 アメリカのヒッピー学生のあいだでは乱交が常態化していたという本を読んだことがありますが、日本では、あったとしてもごくごく一部の話だと私は思います。もし、あっていたとするなら、ぜひ、どこの大学であっていたのか教えてほしいと思います。
 もちろん、男女学生が同棲生活をするというのは多数ありました。私自身は、残念なことに、そこまで至ることができませんでした。この本で最大の違和感があるのは、この「ドグマ」を前提としてストーリーが展開していることです。
 東大闘争とは言っても、実際のところ当の東大の学生活動家はそれほど多くはなかった。輝かしい将来を約束されている東大の学生にしてみれば、現体制が続くことが自分たちの安泰につながると考えこそすれ、その崩壊を望んだりはしないからだ。だから、東大生をオルグすることができれば、スリーパーとして権力の中に送り込むことだってできる。
 いやあ、これって完全な間違いだと思います。もちろん、その定義にもよりますけれど、あのころの東大のセクト・メンバーは、全共闘にしろ民青にしろ、どちらも数百人単位をこえていたと思います。なにしろ、東大の学内集会とデモにそれぞれ少なくとも500人以上は集まっていたのですから。私は、当時、駒場の学生(2年生)でしたが、6千人の学生のうち双方の活動家の合計は少なくとも1000人ほどいたというのが私の実感です(組織メンバーになっているか、強烈なシンパかはともかくとして・・・)。
 この本を読んで、東大闘争の事実経過を詳しく正確に知りたいと思った人には、『清冽の炎』(神水理一郎、花伝社)を一読されることを強くおすすめします。
(2008年2月刊。1700円+税)

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